「死は恐れるものでなく受け入れるもの、喜びである。」というような宗教感とは少し違い、もっとリアルにそこに湧き上がる感情とかを考えているのです。
自然な死を迎え『死』を受け入れるのに時間はそれほど多く掛かりません。
もし彷徨う魂であったなら。
待っているのは孤独であり、絶望ではありません。孤独の本当の怖さは絶望ではなく無気力なのです。本来戻るべき場所へ戻ることも考えられず、ただただ彷徨う日が続きます。どんな小さな目的でさえも自分自身で見いだすことができません。
目的は心を強くも弱くもするものです。
日に日に弱っていく状態で冷静さは失われ、善とも悪とも判断のつかないまま、判断というプロセスすら踏むことはないまま流されていくのです。
悪しき者からでも目的を与えられるなら喜んで受け入れてしまうのです。結果、それが間違いであっても。目的を持つことはつまり『自分を保つこと』と同義であり、全てといっても過言ではありません。
人は間違いを犯す生き物です。しかしその間違いを正すことができるのもまた、人なのです。
過去の自分を蔑み後悔することに意味はありません。悲しむべきは己の脆さであり、やり直そうとしない弱さなのです。何時でも何度でも、構いません。今を諦めない心は幸せそのものだと思うのです。
肉体の死と魂の死はまったく別の次元なのです。
魂が死を迎えるのを黙って見過ごすのではなく、誰かに話しかけて欲しいと願うのです。
私は此処にいます。
≫温泉2泊3日の旅に出たいのです。