不感という快感 | 蜜蜂と銃 〜タロットと数の言霊〜

蜜蜂と銃 〜タロットと数の言霊〜

あの世とこの世と数とタロット占い。

『蜜蜂と銃』を始めて間もなく二週間になりますが、我ながら毎日ポストしていることに軽い驚きを覚えています。良い意味で自分を裏切れた感があるのです。セッション毎、お客様の悩みはクルクルと変わったように映りますが、真理はいつも一つに集約されていくように、私が伝えたいことも突き詰め行くと一つなのだと改めて考えるのです。

さて、今回もそれなりに長くなりそうです…。でも、誰か一人でも「あぁ、そんな考え方もありかもね。」くらいに読んでいただければ良しです。

これは私の性格的な要素も大いに影響してることですが『決まり事だから、常識だから受け入れなさい』のような脅迫とも受け取れる『教え(教えることも教えられることも)』が嫌いなのです。大事な部分を置き去りにし表面だけ取り繕った教えは魂に響いてきません。

例えば、こどもから「どうして人の物を盗んではいけないの?」と聞かれたら、真面目なあなたはなんと答えるでしょうか。

「泥棒は警察に捕まるから」でしょうか、もしくは「悪いことをしてはいけません」と言いつけるでしょうか。はたまた「法律でそう決まっているから」と煙に巻くかもしれません。「自分の物が無くなったら悲しいでしょ。だから他の誰かにもそんな思いをさせていけません」と説くでしょうか。いずれにせよ、こどもが心から納得する”答えを教えることは困難”です。

実は答えを教えよう(教わろう)とする試みが心を困難に、不感にしているのです。

本当の”問題”とはなんでしょうか。それはこどもの質問「どうして人の物を盗んではいけないの?」に答えを出すことではありません。こどもがこどもなりに考え、感じ、学ぶことができるよう、少しだけ手を貸してあげる。だって算数の足し算を勉強しているこどもに”答え”なんて教えたりしないでしょう。自分で考えもせず、コピーした答えに100点が与えられても意味がないのですから。導くべきは答えの求め方なのです。

大切なこと、それは魂の真っ直ぐな声を聞くことだと考えています。

先人の知恵や識者の教えは大変有り難いものです。しかしその本質に触れることがなければ、それは只の知識でしかありません。得た知識を掘り下げ自分なりに考え、自分の心の納得があってこそ初めて自分のものになるのです。自分のものであれば誰より自由自在に扱うことが可能になるでしょう。頭より先に身体が反応するように、ごく自然にストレスなく行動できるはずです。そこは迷いや戸惑いとは無縁の世界です。

”誰かの名言や高尚な教え”そのものに価値はありません。あなたがそれらを受け取り、悩み考え行動し、葛藤して得た心にこそ価値があるのです。『教え』の名を借りた価値観の強要に大いに疑問を持ってください。

大いに悩み、心の不感症に正面から取っ組み合っていただきたいのです。