語り草となっているラストの長回し。若い頃にそれを本か雑誌で読み、急ぎレンタルビデオ店へと駆け込んだ。たしか、この『さすらいの二人』が初めて触れたアントニオーニ作品のはずだが、今となっては単に「観た」だけの記憶しかなく、内容については忘却の彼方へと消し去られてしまった

 

先日、本作で謎めいた女を演じているマリア・シュナイダーに関する書籍に目を通したところ、彼女が自身の出演作で一番好きだったのが『さすらいの二人』という記述があり、急ぎアマゾンのサイトへと駆け込んでDVDを購入。ロースペックな私のメモリー装置に上書きを試みた

 

" The Passenger " (伊・仏・西合作 126分)

監督: ミケランジェロ・アントニオーニ

脚本: マーク・ペプロー

    マイケル・ウォーレン

    ミケランジェロ・アントニオーニ

撮影: ルチアーノ・トヴォリ

音楽: イヴァン・ヴァンドール

出演: ジャック・ニコルソン

    マリア・シュナイダー

    ジェニー・ラナカー

 

美しい妻、閑静な住宅街に佇むマイホーム、ジャーナリストとしての社会的名声。傍目には羨ましいほど順風満帆な人生を送っているかに見える主人公デイヴィッド・ロックだが、その心のうちは決して満たされてはいなかった。北アフリカでの反政府ゲリラへの取材が足踏み状態で、半ば自暴自棄に陥っていたロックは、或る日、宿泊先で知り合ったビジネスマンのデイヴィッド・ロバートソンという男がホテルのベッド上で息絶えているのを発見する。自分の容貌や体型がロバートソンと似ているのに気づいた彼は、ロックが死んだことにしてロバートソンに成りすまし、残された手帳に記された場所を辿っていく
 
サハラ砂漠を始めに、ロンドン、ミュンヘン、バルセロナ、セヴィージャを巡るロード・ムービー形式のオーソドックスなストーリー展開は、良い意味でアントニオーニらしからぬと言えそうだ。もし仮にアントニオーニの名前がノンクレジットだったならば、誰も彼の作品と思わないのではなかろうか
 
無味乾燥な新興住宅地、寂れた廃墟、汚水や煤煙にまみれた工場地帯。ローマやミラノ、ラヴェンナなどの都市を舞台としながらも、主にこうした風景を描いてきたアントニオーニの映画にはガイドブックに載っているような名所旧跡が出てくるケースは無きに等しい。だが本作では、物語の後半から行動を共にするデイヴィッドと若い女が知り合うきっかけとなる場面において、ガウディの手掛けたグエル邸やカーサ・ミラが登場する。これもまた、アントニオーニらしからぬと言えそうだ。少年の頃より建築物対象のデッサンを趣味としていたアントニオーニにとってガウディのモダニズムは相当に魅力的だったに違いない
 
バルセロナに住み、建築を学んでいる。人物の背景について語られるのは僅かにそれだけで、名前すら与えられていないミステリアスな女(役名はGirl)を演じたマリア・シュナイダーが、作品全体に漂うドライな雰囲気にとてもフィットしている。アントニオーニ自らがかなり熱心にマリアへ出演依頼をしたと聞くが、この役は彼女への当て書きに感じられなくもない。どこか中性的にも受け取れる女の様子には、バイセクシャルだったマリア本人のイメージが投影されてもいそうだ。国籍や人種、性別の括りに縛られない女の存在は「自由」の象徴とも捉えられ、オープンカーのバックシートに座る彼女が後ろを振り返りながら翼のごとく両手を拡げるシーンは特に印象深い(中盤でデイヴィッドも同じポーズを取っており、ここはそのリフレインと考えられる)
 
記事の冒頭でも少し触れた、有名なワンショット撮影によるシークエンスは如何にもアントニオーニらしく、その表現方法やテクニックには称賛の言葉しか浮かばない。かつて、アントニオーニと同じファーストネームの芸術家が「神のごとき」と形容されたが、私にとってはアントニオーニもまた「神のごとき」と評したいフィルムメーカーである
 
原題の『ザ・パッセンジャー』は「通りすがりの人」の意味。デイヴィッドから見た女、女から見たデイヴィッド、ロックから見たロバートソンはいずれも「偶然」出逢った「通りすがりの人」に他ならないが、それらは運命の糸に導かれた「必然」だった気もする。またロックとロバートソンの関係性は、ただ容姿が似ているだけではなくドッペルゲンガー的な側面も窺わせる
 
エンディングでデイヴィッドが女に語って聞かせる、全盲の男の目が突然見えるようになり、最初のうちは全てが新鮮に感じられたものの、次第に世の中が自分のイメージしていたよりも貧相で醜いことに絶望し自殺をする話は、デイヴィッドの置かれた心境を率直に表したと言えよう
 
噛めば噛むほど味わいの増すアントニオーニの世界観。今回本作を四度繰り返して鑑賞したが、彼の思考を探るべくまだいくらでもリピート出来そうに感じる。まさに至福の映画体験、と同時に、通りすがりのヴァガボンドとして気儘に知らない土地をさすらいたいという旅心をくすぐられもした
 
〈演出〉★★★
〈脚本〉★★★
〈撮影〉★★★
〈音楽〉☆☆☆
〈配役〉★★★
 
(2023 - No.23) DVD にて鑑賞