Chandler@Berlin -66ページ目

Chandler@Berlin

ベルリン在住

English version

前回の続きである.Peanoの公理は前回を参照のこと.

最初の自然数からは次の自然数というものを作ることができるというのが二番目の定義の言うところである.この操作をする函数をあるものの後者を生むので「後者函数」と言う.これは + 1 という演算を定義していると思って良いだろう.もし 0 があれば次の「何か」(0 の次なら 1 と書くこともあるが,別に0 と違う「何か」ならばなんでも良い) が生成される.ところで,1. 最初の数がある.2.次の数を作ることができる.という2つのルールで自然数の定義ができそうなのだが,これではまだ足りない.

3番目の定義は,後者函数を繰り返す,つまり自然数の足し算(+1)を繰り返していっても最初の数に戻ることはないという意味である.つまり x+1+1+1... としていったらある時突然 0 に戻ることはありえないよ.という意味である.そういう数学(modulo) もあるのだが,自然数の定義では考えない.たとえば,このようなものでない数学としては 12 + 1 = 1 とか 31 + 1 = 1 となるものがある.そんな馬鹿な,と思うかもしれないが,これは日付けの表現である.なんと12月31日の次は1月1日に戻ってしまうのだ.月を見れば 12 + 1 = 1 であり日付けだけ見ると31 + 1 = 1 なのである.時間の表現もそうである.23 時59分の次は 0 時 0分である.そんなのは計算ではないと言うなかれ.計算機の中のカレンダーはもちろんそういう計算をしているのである.だからそういう数学だってある.1 + 1 =2 というのはそんなに普通ではないのだ.これを一番簡単な数学の例として挙げる人がいるが,そんなに簡単ではないと思う.

4 番目の定義は同じ数の次の数は同じであるという意味である.逆に言えば違う数の次の数が同じになることはない.カレンダーの例ではこれは成立していないことがおわかりだろうか.カレンダーの場合,31+1 = 1 (一月), 28+1 = 1 (二月),30+1 = 1 (四月) など違う数の次の数が同じになっている.自然数ではこういうことは起きないというのがこの定義の言う所である.そろそろマービンがあたりまえすぎて嫌になってくることだと言いそうだ.最後の定義は数学的帰納法に関係する.こうやって作られたものは全部自然数とするというものである.

マービン「ところでこれは志賀浩二先生の説明にとっても似てますね.ちゃんと参照しておいた方がいいんじゃないですか.」確かにそうである.確か数学が育っていく物語であったと思うのであるが,残念ながら手元に本がない.私は志賀先生の本が好きで横浜国立大学の公開講座に毎土曜日に電車で2時間かけて通ったことがある.すばらしい講義であった.日本を離れる時にはこの講義を聞きに行くことができなくなることが残念でならなかった.

また Peano の定理というと私は老子と Wittgenstein を考えてしまう.ガイドファンにはたまらない偶然で,老子の「42節」は「道は1より生じ,1は2を,2 は3を,3は万物を生んだ」とはじまる.また,私は Wittgenstein の言ったことを理解しているはずもないが,言葉は世界の写像にすぎないというのはその通りだと思う.λ計算は言葉をまた機械に写像しなおすことにより,論理を世界に還元する.人間が言葉でどう言うかではなく,機械という世界の構成要素が,自然数と同型の動作を見せることができるというだけで私には満足である.

次はついにこの公理をλで示すことを考えよう.
English version

(二週間以上前に痛めていた部分が直らないので病院に行ったら骨折していた.テニスに挑戦してみたりしたのははしゃぎすぎだったようだ.)

自然数を定義したのは Peano (Wikipedia )さんという人である.この方は自然数の性質を述べたのであって,こうやって自然数を定義しようとしたようではないようだ.数学の書き方に慣れていないととっつきにくいのであるが,そんなに難しいことが述べられているわけではない.次の5つの定義は Wikipedia から転載した.
  • 自然数 0 が存在する。
  • 任意の自然数 a にはその後者 (successor)、suc(a) が存在する (suc(a) は a + 1 の "意味")
  • 0 はいかなる自然数の後者でもない(0 より前の自然数は存在しない)
  • 異なる自然数は異なる後者を持つ:a != b のとき suc(a) != suc(b) となる。
  • 0 がある性質を満たし、a がある性質を満たせばその後者 suc(a) もその性質を満たすとき、すべての自然数はその性質を満たす。

まず,数には最初の数というものがあると定義する.ここでは 0 と書いているので数の 0 のように見えるが,「何か」であればかまわない.ここで「何か」というと「何かって何?」と尋ねる方もおられよう.しかし,実際に「何か」であれば良いのである.0 というのも最初の「何か」であって,1 でも 42 でも x でも良い.あるいは,日本語で「零」と書いても良いし,「zero」 でも「Null」でも良いのである.本当に「何か」であれば何でも良いのである.このような考えは時に受け入れてもらえないこともわからないではない.ここでは自然数を定義したいので,既に 0 という自然数があるように思ってもらっては困るのである.(また,0 は自然数としないことも多い) そこで 0 という記号を使って「最初の数」を定義するのである.個人的には私は x の方が「何か」という感じが良い気がするのだが,Peano 自身の公理では 1 であったにもかかわらず,Peano の公理と言うと 0 を使うようである.

定義というのはゲームのルールのようなものでそれが何故かということは考えない.これは数学に慣れていない人には難しいことだと思うが,サッカーで「ゴールキーパ以外はボールを手で触ってはいけない」というルールと同じである.何故そうなのか理由を言えと言われてもそれがサッカーのルールなんだとしか言えない.チェスや将棋,囲碁のルールとも同じである.つまり唯一真実のルールというものは存在しない.ゲームの数だけ,スポーツの数だけルールがある.数学でも同じであり,いくつの異なったルールを基礎にした数学が存在する.数学ではとんでもないルールを作っても,一貫性さえあれば問題はない.しかし,とんでもないルールの数学は普通面白くない.面白いかどうかはまったくもって人の主観である.時々誤解があるようだが,ここには宇宙の真理とかはまったく関係ない.しかし,面白いことに良く作られた数学のルールは宇宙の真理に迫ることができる.これは数学の素晴しいところである.それは良く作られたスポーツやゲームのルールはそのスポーツやゲームを面白くする所にも似ている.唯一真実のルールがあるというのは,宇宙には一つのスポーツしかなく,世界には一つのゲームしかないというようなものである.新しい定義を作れば,新しい数学ができるが,面白い数学を作るのは大変むずかしい.適当なルールをつくれば新しいスポーツができるだろうけれども,面白いスポーツを作り出すのは難しいことに似ている.

ところで,一日に一つのテーマを述べるのはどうも長くなりすぎるので,今後は短く書くことにする.

私の友人に芸術家がいるのであるが,彼が今回作ったものは Stereo Shadow というものだ.色の違う光源をある距離に置いてその光源の色の眼鏡(左が赤,右が青色の眼鏡)を使って影をみると影が立体に見えるというものである.日本ではいくつかの場所で展示されたそうだ.そのうちビデオが公開されるというので楽しみである.

Stereo Shadow