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本書は、千五百通にのぼるムージル書簡集(フリゼー編)から、一種の自伝をなすようにとの意図のもとに、二百七十通余りを集成したものである。未完の大作 『特性のない男』の第一巻が刊行された一九三〇年以降の書簡が三分の二を占めるなど、主に作家の晩年に焦点が当てられている。
 『特性のない男』 はジョイス『ユリシーズ』やプルースト『失われた時を求めて』と並び称されるが、文学的評価ほどは読者がつかなかったらしい。ムージルはあるエッセーで、 「詩人の資質の構造がではなくして、世界の構造が、詩人に詩人の使命を課する」と書いている。限りない相対性と多重性がムージルの小説を難解にしているの だが、それはそのまま、現代社会の複雑さを反映させた結果ということになる。
 ムージルは、同時代の作家をどうみていたか。一九三一年の手紙で彼 は、「現代のロマン(中略)は一様に、物語ることの古い素朴さは知性の発達に対してもはや不充分であるという困難に突き当っています」と指摘し、トーマ スマン『魔の山』をこの点で失敗作とした上で、次のように書く。「プルーストとジョイスは、ぼくが知っている限り、溶解に従ってきわめて輪郭のぼやけた 連想文体に頼っています。それに反してぼくの試みははるかに構成的で綜合(そうごう)的であると呼べるだろうと思います」
 しかし、妻が「ひとつひとつの章を二十回、あるいはそれ以上、いつでも始めから書き下し」と記したように、作品は一向に完成しない。一九三八年、ナチスがオーストリアを併合、スイスに亡命したムージルは、友人の支援でぎりぎりの生活を送る。
  トーマスマンにも再三援助 を乞(こ)うが、その一方で、自分とは「絶対的に異質な」作家の善意のからくりを、ヘルマンブロッホへの手紙で分析してみせ る。マンは、「水が私の鼻穴にまで来ていることも知っていて」、援助を求められることを期待しつつ、「私がそう望むことについて先行きは暗いと思わせてお きたいのです」。
 いかにもムージルらしい思考 のアラベスクだが、実際にそばにいたら疲れそうな人物だ。