わたしは、とても不便なところに住んでいます。

坂の上の住宅地、毎日まいにち帰り道、くたくたのからだで自転車を押す。
行きは楽でしょ?なんて問われ頷いてはみるけれど、極端な怖がりのわたしにとって急な坂を自転車で加速し下るのは4年以上自転車通学を続けていてもあのスピードに慣れない。
海、花火までもが家から見渡せる恵まれた住まいではあるが、平地に住めたらどんなに楽だろうと、坂の手前で手を振る友達の背中を見て何度も思った。



それでも、ここで良かったと思う瞬間は必ず、夜だ。

母とけんかして閉め出された夜、夜風に当たる父を追いかけて外へ出た夜、
そして家族で散歩をし、道路の真ん中をわざと歩いた夜。


悔しくてかなしくて 泣きながら裸足で歩いた夜は、足の裏が痛くていたくて、風は冷たく澄んでいて。それだけが世界中で唯一のわたしへのやさしさだと思った。

暗がりで隣を歩く父の横顔は、街灯のあかり、月光も入り混じり、父じゃないみたいで。こわくてうれしくて不思議な幼い気持ちを覚えている。

田舎の住宅地は夜になるといっそう人気がなく車も通らなくなる。
『世界から猫が消えたなら』を思い返す、中心に伸びる長い下り坂のど真ん中をみんなで歩く夜は、悪いことをしている後ろめたさと真っ直ぐな道路の気持ち良さで、なんだかずっと大人になったようだった。



坂道嫌いのわたしは、散歩が好きじゃないけれど
涙で輪郭が薄れた星々も月も、やけにクリーンなような空気も、並ぶ家に灯るあかい電気も、道路の広さも
それらをもたらす夜のお散歩は、ちょっと好きです。

藍にかぶさる夜空を、曇りでも快晴でも傘越しの雨雲でも、見上げるだけでこころが満たされていく感覚は、ここに住んでいるからだろうか。
きれいな青に満たされて夜を見上げて坂を見下ろして。なんだかしあわせ、なんて呟けるくらい、元気になったりするのです。



やっぱり、ここでも良かったよね。
夜にいまから出かけてこようかな。






れな