私は分からないことを人に聞くのが苦手でした。

 
そんなことも分からないのかと、怒られたり、失望されたり
馬鹿にされると思い込んでいました。
 
家の中では、それが普通だったから。
 
分からなくて、聞かないと困ることになっても、聞かない。
人に嫌な顔されるぐらいなら、困る方がいい。
いつも不安な気持ちを無視をして、事を進めていました。
 
そしてミスして、トラブルになって、結局人に嫌な顔をされる。
ますます人が怖くなるの繰り返しでした。
 
家の中で受け入れてもらった体験がないから
他人に受け入れられるとは思えなかった。
 
信頼とか、本当に意味が分かりませんでした。
 
誰かと仲良くなると、最初だけうまくいきます。
嬉しくて楽しくて、それが相手にも伝わるから。
 
でも段々と噛み合わなくなります。
自分の本音が話せないから、会話が膨らまない。
私は自分の本音も感情も、何もかも分かりませんでした。
 
相手から、私と仲良くしたい気持ちを感じて
私もそうしたいけど、どうしていいか分からない。
 
普通の人がやってる情緒の交流が、全然分かりませんでした。
どうやったらいいのか、見当もつかない。
だからいつも関係は長続きしませんでした。
 
カウンセリングやACグループワークを繰り返す内に
情緒の交流を何度も体感しました。
 
暖かくて、どうしていいか分からなくて、もんどり打って泣きました。
 
小さい頃からずっと、私に欠如していたもの。
家庭の中で体験出来なかったもの。
 
代わりに刺激で満たそうとしていました。
 
買い物依存、恋愛依存、漫画中毒、スマホ中毒
人間関係で傷つくこと
その年代によって、私の嗜癖は色々でした。
 
嗜癖は私の大切な、心の拠り所でした。
 
 
今は外の世界でも、少しずつ情緒の交流ができるようになりました。
でもまた妄想に囚われて、心が縮まったりします。
 
その繰り返し繰り返し。
 
情緒のある世界に、少しずつ馴染んでいきます。
 
不安も恐怖も不自由も、少しずつ手放していきます。
 
その先にある、心の自立と自由と責任は、眩しくて怖い。
でも行ってみたい。
そんな葛藤の日々です。