人を利用する人と

 

人に利用されてしまう人

 

 

これは、別々の人間なのですが、どうしても根っこの部分が一緒で

 

どーしても引き合ってしまうことがあります。

 

そして、もし人に利用されて搾取されているな?

 

と感じた時は、あなたが変化をする時期です。

 

 

心の深い部分で、誰かに認められずに傷ついた部分

 

「認められたい」

 

と感じる部分が一緒だったりします。

 

人に認められたい願望です。

 

 

どうしようも自信がなくて

 

「誰かに認められて自分が価値がある人間だと思いたい」

 

と思う時、運悪く

 

人を利用したい人

 

人に利用されてしまう人

 

この二人が引き合ってしまったら、心を見つめなおすチャンスです。

 

ちゃんと心を見つめなおすことが出来たら、その後がグン! と変化します。

 

 

人を利用したい人は

 

あえて他人を困らせるような事をし、相手に理不尽な要求をし

 

それを叶えてもらおう事で自分の存在価値を確認しようとします。

 

その自己中心的な態度が相手に通らなかったり、自分の思うとおりの反応をしてもらえないと

 

徹底的に相手に酷い言葉で罵倒したり、嫌味をちくちく言ったりします。

 

その上、相手に罪悪感を与えて強引に自分の要求をまたとなく受け入れさせようとするのです。

 

例えば職場の上司などが、部下に色々とやり方について聞かれたり、提案をされたときに

 

部下のいう事に耳を傾けたり、ちゃんと教えるをせずに

 

理不尽な要求を伝えて、それが出来ないおまえは駄目な人間だ!といい

 

部下に駄目だ!と、部下を攻撃して優越感を感じることで優位に立とうとします。

 

もし、部下が「そのやり方でいいんですか?」など確認するなら

 

自信がないので「お前は何もしらないだろう! 何も知らないくせに生意気だ!」

 

と激しく非難します。

 

その後に部下が上司に口答えをしていると思い込み、その部下に罪悪感を与える事があります。

 

なぜ、その様な態度を取るかといえば

 

自分の態度が全否定された!と感じるほど、自分自身の要求が通らないと傷ついてしまうからです。

 

そして、その本心を認めないまま、人の責任にする人生を送ります。

 

 

一方、人に利用されていると感じる人は

 

人を利用したい人のしすぎた要求にたいして

 

期待に応えようと頑張りすぎてしまい、最後には燃え尽きてしまうことがあります。

 

他人の承認を必要とする人の中には、自分自身が感じている事を我慢し

 

相手の機嫌を取ったり、期待に応えて褒められようとしたり

 

相手の気に入る事をして、必要とされている実感を得たかったりする人がいます。

 

人を利用する人のいう事にも答えてしまい、どんどん人を利用する人の問題までも

 

背負ってしまって、搾取されて、しまいには人に利用される人の責任にされてしまう事があります。

 

搾取しているボスは何食わぬ顔で、人と人を対立させたりします。

 

人に利用されてしまう人にとって、他人に嫌われてしまう事は自分の価値が否定されたという事になります。

 

どちらも死に物狂いで愛情を求めています。

 

どちらも本当の自分では駄目なんだと感じています。

 

なので、どちらも人の機嫌を取り、人の気を引いて、安心感を得ようとします。

 

不安=安心

 

どちらも本当の自分自身から分離しています。

 

人を利用する人、人に利用される人どちらも実は、人の問題を背負っています。

 

人が人の問題を背負う時、そうしないと自分が死に物狂いで求めている愛や

 

注目を失うし、認められなくなる! と感じています。

 

 

また、人を利用する人と、人に利用される人が出会ってしまうと運命的です。

 

人を利用する人は、自分自身の理不尽な要求を受け入れてもらいたい

 

人に利用される人は、どんな理不尽な要求にも応えて相手に気に入られたい。

 

その問題がマッチします。

 

 

世の中には自分の心を癒す為に人を利用する人がいます。

 

そういう要求に応えない為にも

 

自分が人の期待に応えようと頑張りすぎていないか?

 

その頑張りには「人に認められようとしていないか?」

 

と他人に気に入られようとしていないかを確認するとよいと思います。

 

特に長女、長男で一生懸命頑張りやすい人には、実は自分自身が幼い頃に

 

得たかった愛情が妹や弟ができて親の愛情を感じられずに

 

いたずらをしてみたり、注目をされようと必死になっている記憶がでてくることもありました。

 

なにも言わないしれっとしたお母さんに怒られたり、優しく叱って欲しい動機が根底にある事もありました。

 

いずれも激しくお母さんに怒っています。

 

だから、どうしても親の気を引きたいのに、遠慮して「愛して欲しい」と親にいえなくて

 

完璧に何かをなしとげることで自分の価値を計ろうとしている人もいました。

 

子供にとって親に愛されない事は死活問題です。

 

それでも、親がどんな親でたとえ愛されていないように感じる親や

 

子供を愛する事ができない親がいたとしても

 

大人になった今、自分が自分を愛する事、自分が自分を認める言葉がけはできます。

 

相手がこうだから私はこう

 

だから、こうするんだ! ではなく、相手がどうであっても自分がしたいことはしてみてくださいな。

 

自分が自分の存在や価値を認められるようになって来たとき、職場のモラハラ上司が急に異動した! というお話を最近きいてこの記事にしました。

 

最後までお読みいただきまして有難うございました。網野聖子