~素に戻る~

自分の壁、限界、マンネリを感じたことはありますか?

そんな時、
何を考え、どう思い、いかに乗り越えますか?

皆、各々の考え方の特徴や癖があります。

こだわりやネガティヴ度数も人それぞれ。
果たして自分の「偏り」をどこまで理解しているでしょうか?

誰でも自分の生きて来た様は、
まさに軌跡であり、
それが今のあなたを形成しています。

現状に満足でこれ以上はもう必要ない、
という人はきっといないでしょう。

目標の到達と同時に次への欲求が湧くことが理想です。

とはいっても、
常にスムーズに目標が達成されるとは限りません。

途中、
スランプに陥ったり、
思うようにいかなかったり、
モチベーションがあがらない、

意識して考えれば考えるほど力が入り過ぎて空回りになり、
思っていたイメージとかけ離れて余計に焦ったり、
どう時間をかけて頑張っても思うような結果にならない。

”何が何でも努力して、納得のいく結果を出そうとする熱血タイプ”

”理論に基づき状況を観察し、
まずは改善策を掴もうとする冷静タイプ”

どちらも生きていく上で必要な要素です。

赤ちゃんや小さい子は言葉が伝わらなくても、常に何かを感じ取り、自己表現をしています。

そこには無意識の自我が存在します。

「感覚」が働いています。

言葉や理屈がまだ発達していない分、
「本能」が働いています。

良い悪い、好き嫌い、損得。
という私欲がないのです。

なのに、
何らかの反応を示し欲求します。

赤ちゃんに接してみると、
理屈ではない「本能」でさえも、
生まれながらの特性が見受けられます。

それが親から受け継いだDNAというものなのか?
細胞のちょっとした違いなのか?
実に不思議なことですが、

何れにしても、
人間は生まれた時から、
いや、もしかすると生を受けた時から、
自分なりの自己主張を「本能」でしているということなのでしょう。

それが成長し、
社会に揉まれ思考が発達するに連れ、
「本能」と「思考」の2柱が別物として、主張し出します。

敢えて言うなら「本音と建て前」とでもいいましょうか?

「自己コントロール」。

果たして、
自分を窮屈にしているのか?
自分を開放しているのか?

本能より思考が上回っているとセーブされます。

思考より本能が上回っていると発奮されます。

どちらも自分なのに翻弄される可能性はあります。

そう、どちらもコントロールを失うことすらあるのです。

それが「偏り」。

「本能」と「思考」のせめぎ合いということでしょうか?

であれば、
「本能」から得る感覚を自らの中で廻らせてみてください。
雑念(思考)に惑わされず、
自分だけの氣の巡りを確かめてみましょう。

イメージは赤ちゃんの反応です。
その空気感や内面の感じる感覚を
自分に置き換えてみてください。

胎内からのメッセージ=「本能」
を感じてみましょう。

自然原理を支柱とした
「素」であり、
自然周波に則った感覚です。

「安らぎ=リラックス」=「本能」
という『感性』を感じられるか、

が、究極の
「人生の醍醐味」
なのかもしれません。


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