伴走なんて恥ずかしくてやってもらえないよ!というぐらいには、息子の勉強への主体性というのが身についてきたようです。

 

部活がなく帰宅した日は、自分で机に向かってまずはこれ、次はこれ・・・というように、テキストを積み上げて、

タブレットで何かを参照しながら勉強をしています。

レポートを書いたり、パワポを見ながらノートにまとめたり。

少し覗きに行くと何?というように軽く睨まれるのがオチなので、もう覗きにも行きません。

 

今朝は起きて朝ごはんを食べながら、

あと2週間で期末が始まる!と言っていたので、誰よりも息子本人が、どうやら点数や平均超えを意識しているようです。

 

そしてなぜか、英語を絶対頑張るんだ・・・英語だけは絶対・・・

と呟くようになりました。

それは親的にも大賛成なのですが、子供のスイッチというのは一体どこで入るかわかりませんね。

ずっと親が言い続けてきていたのに、全く響かなかった日々を経て

何かのきっかけで、誰かの一言で、急にスイッチが入ることもあるのかもしれないですね。

 

親がいくら葉っぱをかけても、伴走という名の見守り・管理をしてみても

 

若き青年の、自分から出してくる本気、にはきっと叶いません。

 

息子も、娘もですが、

 

その「本気」を出して自分で頑張ってくれるように、そばで見守っていくしかないですね。

 

平均より下をとってきたら叱ることもできるかもしれないですが

本気を出していない息子に叱る意味があまりないと言いますか、、

 

息子でも娘でも、本気でもなく頑張ってもいない何かで点数が悪かったりして、叱っても逆効果になりそうです。

そして、本気だったり頑張っていたりした何かで点数が悪い時に叱ったりしたら もっともっと逆効果です。

イコール、叱る、という行為にはほとんど教育的効果がないと思っています。

頑張っていてもダメなら、やり方を考える。見直す。

頑張っていなくてダメなら、次は頑張ったら、と伝える。

その程度しかもう、できません。

 

あれもこれも、手を差し伸べて、歩くならこの道よ、と手を引いて守っていた幼児期を過ぎて

 

親の目がないところでも色々な選択や判断を求められる年齢。

手を抜くことだって、楽をして遊び呆けることだってできる環境ですが

それをしたら、どうなるかぐらい、わかる年でもあります

 

昨夜、エリート一家のプレッシャーでメンタル破綻をきたした長男が一家を惨殺、なんていう恐ろしいテレビ番組を見ていて

息子が「もし僕も高校で落第したら・・・留年したら」と青ざめていましたが

普通にやってればしないから大丈夫じゃない。

ぐらいには適当なことを言っておきました

プレッシャーよりは、自信と余白を持って人生楽しんで行ってもらいたい気持ちもあります。

 

中間で平均点以下を取ってきてやや落ち込んでいた息子ですが、そんな息子の頑張りたいという気持ちが垣間見えるので、

グッと堪えて口も手も出さずに、少し距離をとって見守ろうと思います。

子どもを信じるから、ここから先は自分で頑張ってもらうしかないです。

いつまでも親が手を差し伸べているわけにもいかないですね。

なんでもお願いしてきて、聞いてきて、問題出して、と言ってきていた小学校時代を思い出すと、少し寂しい気はしますけれども

 

我が家には幸い?もうひとりおりますので、そちらの伴走でも緩めにスタートしようと思います。