今の70代以上、いわゆる団塊の世代はバリバリ働くお父さんと専業主婦のお母さんがまだまだ多かった時代のご夫婦たちで、子供が二人三人いて全員をなんとなく中学・高校受験させて私立に通わせて、さらにローンを組んで郊外に家を建てて休みは家族で旅行して、ってされてきた方達なので、その頑張りは本当に素晴らしいと思います。
1990年代の中学受験・高校受験は今2020年代のそれとは全く違う様相を呈しているようで
いわゆる御三家の麻布や桜蔭に通っていた自分と同世代の友達も、みんな今子供の中学受験の時期を迎えたりしていますが
「全く自分の時とは違って経験則が役に立たない」「昔はサピもこんなに親の関与は必要でなかった」と言ったりします。
加えて、団塊の世代の親御さんたちはお父さんが仕事・お母さんが育児と家のこと、さらになんなら祖父母も同居
今の我々世代(氷河期前後〜ゆとり世代)のファミリーは実家遠方・共働き だったりしますので
子供にかけられるマンパワーは全く足りていません。(そして、同じぐらい頑張って働いていても家を建てられる人なんて東京ではごくごく僅か、みなさんペアローンで中古マンションなど購入されています)
子供にかけられるマンパワーが足りず
中学受験ですら個別指導や家庭教師をプラスする必要性も出てきたりで教育費ばかりが嵩み
ますます仕事を頑張らねばならないが子供を放置すると子供の成績は下がっていくという負のスパイラル
日本は貧しくなっているんでしょうか・・・。
そんなギャップがある中で、団塊の世代に今の時代の中学受験の熾烈さを理解していただけるはずもありません
中学受験、へぇ、まぁやれるだけ頑張ったら。
という一方で
そんなにやらせて、塾通わせて、そんな偏差値なの?とか
3年生から 4年生から塾だの勉強だのやって、青学や法政、中央の附属に行くのか?行く意味あるか?とか
とてもじゃないですが、分かり合えていないのでえぐってくる言葉しか聞こえてきません。なので、あまり意見を求めたりこちらから色々と報告するのもやめた方がいいかもしれません。
(そもそも、家を買う時だって、そんな古いマンション?とか、ダメ出しばかりされましたので、もう相談をやめました・・)
いつだったか、某静岡県知事が新卒生たちへの挨拶で酪農家の方などを揶揄されたような表現で大変炎上していましたが
割とアレに近い発言は団塊の世代の方々は、普通にしています。日常会話です。
勉強しないと、ああなるよ。と、清掃の仕事やサービス業、動物園の飼育員などを指さしながら孫に教えてみたり。
その度に親が割って入って否定して説明しなければならないことにももう慣れましたが、、
もう、全く違うんです。
勉強、の目標や目的も違えば、人生で目指していくところがどこかという価値観も違う。
勉強はきっと昔の方々にとっては「ああはならない」ためにやるものだったのかもしれません。
けれど自分は息子や娘にそう教えたくはありません。
勉強は私たちが例えどんな仕事に将来ついたとしても、自分がまだ知らないこと・わからないことを小さくとも一つずつでも解き明かしていく喜びを得るために、ぜひ例え立派な職業に就いたり「ああはならない」ことが確定した後でも、一生続けてほしいと自分は願っています。
就職のために有利だから大学に行くとか
将来いい仕事に就くために勉強するというのが
少しもう、時代にそぐわなくなってきているということは団塊の世代の方々にはなかなか理解できないことであるかもしれません。
なんなら、東大生が官僚を目指さない時代になっている!とあたかも衝撃であるかのようなニュース記事が最近ありましたが
そんなの、分かりきっていませんでしたか?
仕事のステータスだけが尊いとされる時代はとうに過ぎて
仕事だけではない人生、という価値観も広がって
仕事にも、その働く環境を重視して就業するかどうかを新卒者たちが選ぶ時代になっているんです
官僚だろうが、医師だろうが
ブラックな環境で自分を壊して人生を引き換えにしたいなんて思わないですね。。
話がだいぶそれてしまいましたが、
息子や娘が大きくなっていった先の日本や世界は
AIの普及も経てどれほどまたさらに変化しているのだろう、と思うと不安にもなります
どんな変化の先に生きていても、たくましくしなやかに、自分らしさを守りながら生きていっていける人間になってくれるように 親は全霊をかけて子を育てるしかありません。
思えば、子どもがいなければ、とっくに一軒家の1つや2つ 建てていただろうなぁ。泣
団塊の世代以上に仕事しながら子供の送迎や伴走もしてるけど、団塊の世代と同じ家には住めないし年金額も低いだろうなぁ。
でも、今の子育て世代もいろいろな考え方の方たちがいるとは思いますが
特に都心は、家なんかより教育費に全振り している方々も多いイメージです
子どもは、贅沢品ではないです それをいうなら家かな、どっちかっていうと。
そもそも子供を「品」とつく単語で言い換える感覚が自分にはありません。家族です。
おそらく我が家も
一軒家はこのまま買わない、持たないまま一生を終えていくのだろうと思いますが
それでも、家族が元気にワイワイ生きていてくれたら
それでいいやと思えます。