3日の朝は息子と同時に目が覚めて、「どうだった?!昨日の、受かってた?」という質問に「うん、合格してたよ!よかったね!」と答えて、画面も見せてあげたところ、本当に嬉しそうにしていました。

栄東でいいんだ・・・通うよ・・・と言いながら、やはり都内で自宅から通えて、祖父母のお家からもがんばれば通えなくはない、そんな学校に合格をもらいたかったはず。

この日の朝に結果が出ているのは1日午後校の不合格と2日午後校の合格なので、その両方をこの時に伝えました。

すると「1日午後校、不合格!?え、本当?じゃあもう一回受けよう!今日午後も確かあったよね!」と、まさかのリベンジ午後受験を希望する息子。

 

3日午前受験をしたら、3日午後は少し休ませて、仕切り直しするとしても4日以降と思っていたので、その勇猛果敢?なイキリ立つ様子にやや空恐ろしいものすら感じました。サピックスは、一体息子を何者にしてくれたのか・・・

 

3日午前受験と、そのまま午後に1日午後校のリベンジ受験をしに行くシミュレーションをして、朝出発しました。

 

一つ合格をいただけているというのは、本当に心が楽です。

もう受験が終わったような軽い足取りで3日受験に向かいながら、息子はバスの中でポツリと「1日午前のW校、今日発表だよね。受かってないかな・・・」と言いました。

 

うん、わかる。わかるよ。

そこに、受かっていてほしいよね。そこしか、見えていなかったものね。

口では第二志望・第三志望まで「素敵な学校、いいね!」と家族で言い合いながらも、絶対的に憧れの学校は紛れもなく1日午前受験のそのW校であることは一番近くで見ていた自分にはもちろん分かっておりました。

 

ここが非常にジレンマで、渇望、という言葉に近いくらいその学校に入ることを願って努力を重ねてきておきながら、決してそこ一本に絞って受験をすることは推奨されないのが中学受験です。高校受験や大学受験の推薦入試などと全く趣が違います。

願って願ってそこに入る自分しか想像できないくらい努力を重ねながら、

そこに入れない可能性が50%はあるものだと想定をして、そこ以外の学校も同じように大好きになっておかないと危険、とされている。

そのことを理解して、息子も自分も3日の朝は、合格をいただけた2日午後校に通う想像をして「素敵な学校だよね、先生もみんな熱心で丁寧で 学校も綺麗だったよね」とその学校の話をしていました。私は息子を安心させたい一心で。息子はおそらく、安心したい一心で。

 

けれども、3日午前受験校の門に入るときも、もう一度、息子は言いました。

W校、受かっているかなぁ。ダメかなぁ。

 

きっともう、そのことしか考えられていなかったのだと思います。

そして、それは親である自分もそうでした。

 

とりあえず、頑張っておいで、と送り出して、自分は一度帰宅することにしました。8時10分ごろでしたが、ネットでW校の結果が見られるのは9時です。

 

バスであえて自宅から少し離れたところで降りて、少し長めに歩きながら帰りました。

いろいろなことを思い出して、結果が気になる気持ちはあれど、もう、ここまできたら結果は出ているのだから、どう足掻いてももうそれは変わらないのだから、落ち着いて見るしかない、と思いました。

前々日夜の「不合格」の字を見た時の衝撃も思い出されます。いけない、いけない。そんなイメージしてる場合じゃない。逆のイメージをしないと。

 

帰宅して、まだあと10分ほど。

息子の学習机の前に立って、その机を眺めました。

サピックスからもらった、「〜〜中学、合格!」の紙に、息子が手書きしたW中学の名前がこちらを見下ろしています。

息子と一緒に1月に行った、神社の合格祈願でいただいたお札に、恥ずかしながら手を合わせて拝みました。結果が出るまでの最後の10分間に、自分ができることなんてこれぐらいでした。

 

9時。見たくない。でも見たい。見ないといけない。

30秒ほど怖気付いてから、意を決して結果を開きました。

合否判定。

もう、このボタンを押すことにも慣れてきていました。

けれど、この合否判定は他の全てを合わせても越えられないほど重要なもので、これがもしダメだったら、と思う気持ちから、ダメで元々、ダメでも頑張った、本当にここまでよく受験をして、試験を受けてきただけでよく頑張った、と自分も自分に言い聞かせていました。

 

結果は、なんと、桜の画面がいっぱいに、

「おめでとうございます 合格」。

こらえていたものが溢れ出てしまい、息子の机の前でわぁー、と声をあげて泣きました。

 

まさか、とか、奇跡、というと息子に叱られますが、本当に五分五分だと思っていました。

厳しい本番の空気を知り、結果が難しくとも、高校受験でリベンジもできるしね、という言葉まで、自分と息子の間では出ていました。

もはや本番の頃には息子は大学附属校や中高一貫校に行きたいわけではなく、受験を今後回避したいわけでもなく、

いつの間にか目標は何よりも「W中学(または高校、大学)合格」になっていました。

もし中学受験で受からなかったら、高校受験で受けることができるよねと、これも自分を安心させるためか、直前期に息子はよく言っていました。

息子の志望していたW中学は附属中学ですが比較的最近作られた学校で、元々は高校しかなく、今も中学入学者より高校入学者の方が3倍ほど数が多いです。そのことも知っていて、息子はもし中学受験でダメなら、とよく言っていました。

 

合格を家族に連絡して、自分はすぐにW中学に書類をいただきに行かねばなりません。

受験票を確認して、電車に乗って向かいながら、まだ信じられておらず、間違いではないか、到着したら間違いでしたと言われたらどうしよう、とも考えました。

 

すでにチラホラきている保護者の方たちに混じって、入学手続きの書類を受け取ると、間違いではなかった、とようやく思えました。周りには少しだけでしたが、お子さんも一緒に来ている子もいました。

 

息子はまだ3日午前の受験中。これを伝えたら、どんな顔をするだろう。

本当に、終わったんだ。息子の中学受験は、そしてすべての受験は、ここで終わりになるんだ。(海外大学や国立大に行きたいなんて言い出したらまた話は変わりますが)

 

親も子も、全力疾走をしている状態で迎えていた3日の合格発表だったので、正直合格をいただけた後もすぐに立ち止まることができないような、戸惑うような気持ちがありました。

 

3日午前受験校にお迎えに行くと、息子が出てきてすぐに聞いてきます。「どうだった?W中学、結果は?」やや不安そうにしていました。

周囲にたくさんの受験生親子がいたので、ここでは憚られるから、と少し移動を促すと、息子は「午後受験、何時から?早く行かないとだよね。電車?駅はあっち?」と焦っている様子です。そうだ、まだ午後の受験をするつもりでいるんだよね・・・

 

早く教えてあげたいと思いつつ、他の親子さんたちのまだ闘っている最中の空気も感じて、近くでタクシーを拾ってひとまず自宅方面へと向かいました。その車内で、息子に合格の画面を自分で見てもらいました。

 

見た瞬間。

 

息子は固まって、息を止めてしばらくその画面を眺めていました。

マスクをしていたので、表情がわからなかったのですが、一呼吸置いてから、「やった・・・ほっとした・・・」と言って、右手でガッツポーツをしていました。

少し、放心状態のように見えました。

混乱しているようでもありました。

あれ、午後の受験は行くんだっけ?と言っていますが、いや、行かなくていいよと伝えました。

え、ていうことは、もう月曜から小学校も行ける?というので、そうだね、小学校も行けるよ、と伝えると、そのことも嬉しそうにしていて、心がちくりと痛みました。

 

まだお友達の結果などが全くわからないので、学校ではそういう話はしないように、ということも釘を刺しつつ、この日は午後受験をとりやめて、ささやかに近所のイタリアンでお祝いをしました。前日には全く食欲がなかった私も、少しピザを食べることができました。

 

長かった、憧れ続けた中学校に合格を頂けて最高の形で終えることができた我が家の息子の中学受験ですが、もしもう一度受験をしたら合格できていたかどうかは分かりません。

まだ過去問サイトなどに出てきていないので、自己採点ができていないのですが、息子とこの日の夜はW中学の問題用紙にすべて書いた答えを記録しておきました。いつか、過去問サイトで答え合わせと採点をしたいからです。

 

下にも兄弟がいるため、我が家もまだ模索中でもあり、より良い方策を検討中でもあります。

サピックスでよかったのか。下の子もサピで良いのか。

親の伴走はやり方含めこれでよかったのか。遅すぎたのではないか。

色々な反省点がありつつ、振り返りも適宜進めていこうと思います。