午前校は文化祭でも行っていたので本人も慣れた様子で、落ち着いて校舎へと入って行きました。

とはいえ、親としては周囲を見渡すと昨日の午前校・午後校以上の人数が受験するということがよくわかり、このあたりで「偏差値ではない」「むしろ倍率」「そして母集団の属性」という定説が頭をよぎり始めました。

偏差値で併願校を組み立てることが、受験の終わった今ではとても危険なことだとわかりましたが、この時はまだ闘いの途中。結果がわからないまま走るしかありません。

過去問も数年分といて相性も悪くない、と感じていたのですが、この人数で、しかももしかしたら最上位層が滑り止めに受験しにきていることを考えると、この2日午前校はもしかしたら1日の第一志望校よりも厳しい戦いかもしれないと思いました。

 

この午前の間、自分は実家に避難をして、息子の状況を話し自分も1時間だけ仮眠を取らせてもらいました。

お前、顔面蒼白だぞ、と父に言われて、鏡を見る元気もご飯を食べる食欲も無くなっていたことを思い出しました。

食べ物が喉を通らない、なんていう経験は、一体いつぶりだったんでしょうか。

自分の大学受験の時は、少なくとも、そんな経験は一度もありませんでした。

そう、自分の受験より消耗し、憔悴する、それが子の中学受験。

この日は実家に救われました。

 

実家にはたまに帰省して受験の話をすると、そんなに頑張ってその程度の中学を受けるのか、そこは昔バカ中学だったぞ?とか、大学附属じゃない学校にもし行くことになっても、また大学受験をするんだったら意味がないのでは?などなど、割と現代の中学受験親の逆鱗に触れるようなお言葉をいただくこともあったのですが、この本番が始まってからは一切そんな話はせずにただただ見守って応援してくれました。

親の世代には理解のできないような、それほど熾烈な戦いが今の2024年の中学受験なのだということを、この2月2日の私の様子を見て親がついに理解してくれたようでした。

昔とは全く、違うんだね・・・その言葉を飲み込んで、母がそっと温かいお茶を出してくれました。不安と安心が入り混じって、泣けてきそうでしたが、息子の移動中に食べる、実家近くの大好きなおにぎり屋さんのおにぎりを買うために早めに出発し、午後受験に向けて私も気合を入れ直しました。

 

T中から出てきた息子は、この日も元気いっぱい。少し間違えた問題を反芻してあー違った、と残念そうでしたが、私も少し元気が復活していたので、もうやるしかない、前に進むしかない、という気持ちでした。よし、じゃあ午後行くぞ!息子と走り出すように向かいながら、午後の急遽受験する学校の情報をおさらいし、この学校に通う場合はこの電車でここで乗り換えて、などをチェックしました。息子はまだまだ元気だったのですが、午後受験の受付でなんと同じサピ生の同じ校舎のお友達に会えて、お互いとっても嬉しそう。興奮状態でバーサーカー(狂戦士)のように戦い続けていた息子が一瞬普段の子どもの表情になったので、とてもホッとした瞬間でした。

 

この午後受験校は、栄東と同じように日程やコースをいくつか分けて受験を実施しており、東京の中学の中でもとても受験生が多いと言われています。

お迎えの18時半ごろ、やはり暗くなった中で子が出てくるのを待つ親御さんの人数が前日午後校の何倍もの数でした。

そして、やはり多くの親御さんに疲れや心労が見えたのも事実です。

2日夜ですが、焦燥感とまではいかずとも、願うような祈るような、そんな張り詰めた想いが伝わってきます。

もちろん、我が家も同じです。

通える距離の中学に、一つでもいいから早く合格を頂きたい。

本当に、まず、安心したい。

4年間も塾に通って、小さな子どもが遊びやゲームも我慢して頑張ってきた。

勉強のことで小さな子どもを叱りたくなんてないのに、叱ってしまったこともあった。

こっそりゲームや漫画に走って、叱られて涙を流したこともあった息子。

きっと同じように、少なからず我慢も重ねながら、楽しいことを制限しながら、厳しい厳しい塾での毎日を過ごしてきたお子さんたちと、それを日々送迎と食事や健康管理の面でも支えてきた親御さんたちが集結していた、2月2日の夜。

 

なんだろうなぁ、このシステムは、と少し考えさせられました。

日本の中学受験、どうしてこんなに難しく厳しいものになっているんだろうか。

需要と供給、あっているんだろうか。

入ってしまえばいいんだという、そもそも日本の大学のシステムだって、おかしいと言われてきているのに。

 

いろんなことが頭を駆け巡りました。

でもそれでも、私たちはこのシステムの中で生きているんです。

親はこのシステムで育て上げられ、社会に出て必死に仕事をしてお金を稼いでいるし、子供たちもそのシステムから逃れて生きていくことなんて、今の日本や、世界のどこでもできないというのが現実なんです。

 

超がつくお金持ちのお子さんたちが、早い時期にシンガポールやスイスの学校に行くのもよく見ます。インターや海外歴を利用して帰国枠で受験するお子さんたちも増えています。

 

けれど日本で仕事をするしかない我が家の、日本で小学校に通いながらただただ塾で積み重ねるしかなかった息子にとって、最も良い学友や教師に出会えることのできる、環境や校風の良い、荒れていない学校に進学させてあげたい。

 

息子の通う公立小学校は高学年はややクラスによっては授業ボイコット組がいたり先生がメンタル不調になり退職されたりと、荒れているということを息子からも聞くことがあったので、遠い栄東でも僕は私立に通いたい、とサピに通いながら本人が考えて決めたその決断を、親としては応援してあげたい気持ちがありました。

 

でも、できれば、近くで。東京で。

その思いで受けた急遽のこの日の午後校。

 

これまた深夜に発表ですが、この日は私も気づけば落ちていました。

夜の21時ごろに息子と一緒に寝てしまい、ハッ、となって起きたのは深夜の0時半ごろ。

結果が出ている!と思い、2日午後校の結果を見るためにサイトに繋いで、真っ暗な部屋の中で光るスマホの画面を見つめながら、合否判定、をクリックしました。

 

結果は、

 

特選コース、合格。

 

涙が溢れました。

よかった。よかった。よかった。これでひとつ、行ける学校があるんだ。よかった。

息子の頑張ってきた4年間が、ひとまず、無駄にならなくてよかった。(例え全て東京校不合格でも無駄になるはずはないのですが、この時は全て不合格という結果はとても受け入れられる心境ではありませんでした)

 

急に、走馬灯のように小さな頃に行ったサピの入塾試験や、まだ意味もわからないまま塾に通った小さな息子の姿が思い出されて、涙がこぼれながら、この日は眠りにつきました。

 

明日の朝、伝えてあげよう。きっと、息子もホッとするだろうなと思いました。