マルハラ、と言う言葉を昨日職場で聞いて驚いてしまいました。

上司、や年配者から若い新入社員さんなどに「〜〜だから。」とか、「〜〜です。」と、最後に「。」をつけると、「マルハラ」と呼ばれて大変忌み嫌われてしまうそうな。これでメンタルを不調にされて、お休みを取られたりする若手社員さんもいらっしゃるそうな。

 

・・・気をつけまーす!LINEなどでは。

いえ、普段は使います。日本語の基本ですし!思わずタイトルにも今日は使っちゃいます。

 

中学受験、と言うとまず「そもそも義務教育で中学まであるのに、なんで高いお金をかけて長くて貴重な子供時代を犠牲にして、中学受験なんてするわけ?コスト的にも最悪じゃない?普通に公立中学校から受験して大学で早慶行った方がコスパいいでしょ!」と言う書き込みが定期的に上がったりしているのを目にしますが、、、

 

我が家では、子供の教育環境や進学についてコスパで考えるということをあまりしなかったので、コスパ、と言う言葉にしばし立ち止まって考え込んでしまいました。

 

ちなみに、コスパというと、同じだけのお金をかけるならば中学受験と高校受験、大学受験どれが良いか・・のようなお話だと思うのですが、

 

中学受験をする、その上で合格を頂けた場合に希望していた中学校へと進学する、ということについてのメリットはとてもではないですがコストだけの話では語りきれません。

我が家で幾度となく繰り返されてきた息子の進路や進学についての家族それぞれの所感の中で、中学受験のメリットは「お金がかからなくて良いわ〜」というものは一つももちろんありませんでした。そして、家族親族、大変節約好きで旅行も株主優待で激安の宿に行くような家族ですが、「お金が安く済むかどうか」で子の進路を考えることもありませんでした。(着るものや、食べるもののランクはいくらでも下げます。。最近祖父母はダイソーにハマっています)

 

例えば息子の志望校の先の大学は、大学入学してすぐに第二外国語の履修が始まります。

私も大学一年・二年で第二外国語に非常に苦労したのを覚えています。それなのにすぐに英語圏に留学したりで身についたのか果たして不明なまま、慌ただしく騒がしい大学生活の中で「勉強」よりも「人付き合い」「自分探し」「アルバイト」に勤しんで行ったわけですが、、

同大学に高校から入り進学した父は高校で第二外国語を履修済みで、それ以外の科目も大学の教授が授業をしにくることが多く、「答えのない問いを考える」ことの面白さを体感し、深い探究型授業を繰り返されて高校時代に自分探しは完了済。科目についても大学に入ってからは「君たち内部進学生は第二で履修済みのものではない外国語を履修するよう」高校時代に言われていたそうで、早速第三外国語履修を開始したそうです。

大学に入ってからいそいそと友達を作って、サークルを見に行き、情報を集めて履修するべき授業や就職その他に強いゼミはどれかを見極めて・・・という大学からの入学生徒たちと違い、

下からの内部進学生たちはすでに数百以上の友人知人がおり、知己の教授たちがおり、取るべき授業履修すべき科目ももちろん知っている状態。

 

うまく例えられないですが、富士山の5号目に集まってはーい登山スタートしましょっかー と歩き始める大学入学生に比べて、

すでに3年前に5号目は全員徒歩で通過してました、なのでそっから上登っていくルートとか途中どんな植物昆虫採集するかそれぞれ模索して考えてたから今もう行く方向バッチリ決まってます、みたいな内部進学生たちがいるというような感覚です。

 

コスパ、の話ではないんです。

大学受験組(自分はそっちでしたが)では、よほどのバイタリティがなければ内部生の得てきた人脈や情報を、一朝一夕には得られない、ということを痛感してきたからこその、息子に勧めた「あわよくば中学受験」ともいえるチャレンジでした。

 

正直、出口が〜〜大学卒になる、ということはあまりメリットになりにくいということも卒業生なら肌感で感じているものがあると思います。

就職氷河期時代、優秀な先輩たちが何人も涙を飲んでいました。非常に優秀かつ勤勉な卒業生たちが就職した会社が一夜で破綻し、就職口を失った先輩や同期もたくさんいたのを見てきました。

 

学歴をゲットすることを目的に受験をする、という気持ちでは、おそらく中学受験も大学受験も大変しんどい瞬間が来ると思います。

そして、学歴なんて、割と持ってて当たり前だけど君は何ができるの?という社会で、いつか人は自分の挑戦をしていく時がきます。

ただ単に「〜〜大学卒、の称号を手に入れるなら、大学受験で十分だよね、コスパいい!」というのは、少し我が家の考え方とはそぐわないな、なんていうことを感じてしまいました。

 

いろいろな考え方がありますね。

 

そもそも、学歴のためでなくて、より良い環境で中高時代を過ごすために家族で挑戦する機会を得るという意味では、もはや中学受験の価値は、プライスレス。ともいえるのではないでしょうか。

 

確かにお金がかかりました。飛んで行きました。怖くて総括できないくらいです。

ですが、お金では買えない大切なことをいくつも私たち家族は与えられ、学ばされ、得ることができました。

努力してその都度自分自身がその結果に向き合う、という挑戦を続ける中で、大きく成長した息子の姿が、何よりの中学受験の収穫ともいえます。

 

例え結果が最良とはいかなくとも、挑戦されたすべての小学6年生の中学受験生たちが、何かを感じ、何かを得て今必死に前を向こうとしている時期かと思います。

 

そんな時に、間違っても周囲の大人は「こんなことなら中学受験にこんなにお金を使うんじゃなかった」「大学受験で良かった」なんてことは、絶対に言わないであげてほしいです。結果が今目に見えていないように思えても、挑戦し頑張った子どもの数年間は決して無駄にはならないはずです。

より良い環境、を目指して親も子供も必死に頑張った。それが何より素晴らしいことで、親御さんもお子さんも胸を張って過ごせますようにと願ってやみません。