とはいえ、頑張った息子と厳格かつ公平平等な入学試験を行っている私立小学校の名誉のためにも記しておきますと、

志望していた最難関と言われる大学附属小は不合格だったものの、

それ以外の私立小で合格を頂けた学校がありました。

 

呼吸も浅く、食事も喉も通らなく、息子を送り出すと涙が止まらなくなっていた自分としては、

ありがたい、息子を受け入れてくださる学校があった

と、その私立小への通学も真剣に考え、家族会議を何度も開きました。

 

が、ここで、元々お受験にやや懐疑的だった主人から「遠すぎる。小学校は地元でいい」の言葉。

祖父母からも「働いているのだから、親の負担もあるでしょう。地元でいいじゃない」の言葉。

お世話になってきた幼児教室の校長からも、「##君は疑いなく力がある子です。小学校受験の結果は第一志望とはなりませんでしたが、この先は地元でじっくりと中学受験を考えて進まれてもよろしいのでは」というお言葉を頂いて、我が家の小学校お受験はこれにて幕を閉じ、息子は地元の公立小学校へと進学することになったのでした。

 

この時、息子の通っていた幼稚園からこちらの公立小学校に進学したのは(やや学区が離れていたということもあり)息子ただ1人。

 

友達、できるかな・・・息子も自分も・・

と、不安に感じていたのも今は昔。

 

信じられないくらい、良き友人(と言っても、もっぱら男子のみ。女子にもてている気配が全くありません)に恵まれ、良き友人のご家族に恵まれて、息子と自分は最高に幸せな6年間を地元で過ごすことができました。

 

小学校が始まってすぐに、歩いて行ける近所にたくさん友達が住んでいる、という状況がみんな楽しく珍しいのか、我が家のインターフォンも朝早くにピンポンをして「一緒に行こ〜!」と声をかけてくれる小さなお友達が詰め掛ける毎日でした。

低学年は学童に行かせましたが、みんなで鬼ごっこをしたりボードゲームをしたり、一緒に帰って再度近所の公園に集まって滑り台で遊んだりと、近所の友達と会える環境での小学校生活を全身で楽しんでいる息子の姿を見て、これで良かったんだ、と心から思いました。

お友達の誕生日パーティーには、男子も女子も遊びに行って、みんなでSwitchのマリオで遊んでいました。

夏祭りは、高学年になると子供たちだけで小銭を握りしめて駆けて行きました。

学校の友達とリレーの朝練、同じ野球チームでの地区大会、学校行事での修学旅行などを体験していき、いつしか、息子にはかけがえのない親友と呼べる友達もできました。

6年前に、涙で瞼をぷっくりと腫らしていた自分に言えるものなら言ってあげたいとすら思います。

それで良かったんだよ、その方が彼に取っては良いんだよ、と。

 

友達が塾に入り始めるのが早い地域で、早い子は1年、2年から中学受験のための大手塾に通っている、という話が聞こえてきます。

特にお兄ちゃんやお姉ちゃんのいる子は早く動き出しているイメージでした。

我が家もやはり、中学受験への思いは引き続き親の心にはあったので、息子の様子を伺いながら、新三年生となる春から塾への通塾を始めることとしました。

 

もし合わなければ、違う塾へ変えてもいい。

そもそも中学受験が彼に合わなければ、それも考え直してもいい。

それぐらいのスタンスでしたが、我が家が選んだのは先輩家族からお薦めされたというだけの理由で選んだ、サピックス。

 

その頃はお恥ずかしながら、サピックスがどんな塾かすら知らずに、自分は息子の入塾を決めていたのでした。

 

本当に、親の無知は厚顔無恥にもつながるものですね。

まさか、自分の首を絞めることになるとは思っていませんでした。