It is our powerful desire

that you be pleased with

where you are right now,

in this moment

-no matter where you are.

 

どこであれ

あなたが今いる場所で

満たされることが

私たちの強い願いです

注)私たち=エイブラハム

 

 

 

エイブラハムは

私たち人間が

今どんな状態であっても、

たとえどんなに望まない状態で

あったとしても

その状態を変えないままで

満たされてほしいと

(いい気分でいること)

言っています

 

 

それがどれだけ難しいかは

エイブラハムも

よくわかっていますが

それでも

そうしてほしいと

言っております

 

 

なぜならば

たった今感じている

その気分が

引き寄せの作用点となるからです

 

 

今体験している現実の状態が

どんなものであったとしても

今満たされて

引き寄せの作用点が

「満たされた」感情になれば

必ずそれと一致する

現実の状態が

やってくるからです

 

 

では

最もやりやすいと

エイブラハムが勧めるのは

何かというと

 

「もうすでにあるもの」に

意識を向けることです

 

 

例えば「住む家がある」とか

「ご飯が毎日食べられる」とか

「寝れる布団がある」とか

 

 

もしも

「住む家がない」という

方であっても

「寝る場所」はあるでしょうし

(どこであってもね)

 

どんな状態であったとしても

その状態の中で

「ある」を見つけることは

必ずできるのです

 

 

それに

もっと言えば

「(息をするための)空気がある」

ということも

「ある」と言えます

 

 

で、ここで

問題になってくるのは

それを「ある」とは受け入れがたい時

 

 

すんなり「そうだよね」と

受け入れることが

出来る時もあるでしょう

 

でもできない時もある

 

なぜ受け入れられないかというと

「幸せ」の定義と

大きく関係していると

私は思うんです。

 

 

今幸せですか?

 

と問いかけられて

 

幸せですと答える人は

多いと思いますが

 

そのあとに「でも」が

ついてしまう人も

多いんじゃないかと

思います

 

 

「でも」に続くのは

○○ではないけどみたいな

自分が100%望んでいる状態ではない

という言葉

 

 

私たちって

誰もが理想の完璧な自分を

思い描いていて

 

それはもちろん

良い事ではあるんですが

その完璧な状態を

「幸せ」と

無意識に思っちゃってます

 

 

ということは

そうでない今というのは

完璧な状態と比べて

どこか「欠けてる」という

不足感を感じている

 

 

だから

「家がある」ことや

「ご飯が食べられる」といった

誰でも当たり前にできることを

「幸せ」とは言えない

という気に

なってしまっているんです

 

 

言ってみれば

「幸せ」の基準がすごーく高い

状態です

 

 

 

でも

よーく考えてみたら

その基準って誰が決めてるんでしょうか?

 

 

自分ですよね

 

 

だったら

その基準って下げてもいいんです

 

 

「幸せ」の基準を

さげちゃえばいい

 

 

 

理想の完璧な自分が幸せ

から

空気が吸えるだけで幸せ

に変えたら

 

 

幸せなことだらけです

 

 

 

幸せの基準が無駄に高いから

ちょっとした「ある」が

受け入れられないのです

 

 

空気が吸えるだけじゃ

幸せとは言えないんじゃ?

と思ってしまうかも

知れませんが

 

「幸せ」なんて

個人の感覚によるもので

1億円あっても

幸せでない人は

幸せでないんです

 

だから

空気が吸えるだけで幸せでも

じゅうぶんよくて

 

それで幸せを感じて

満たされていたら

その感情が作用点になって

理想の完璧な自分への

道が展開していくのだから

いいことづくめ!

 

 

ぜひ

「幸せ」の基準をひくくして

身近にある「幸せ」「ある」に

フォーカスしてくださいね!

 

 

そうすれば

どこであっても

今いる場所で満たされる

ことができます。

 

 

 

 

ease&enjoy!