今さら小学生時代のあれこれを言ったところで、時間が戻るわけではない。
こんなこと書いたって何にもならない。
そんな事はわかってるさ。
でも、なんかこのタイミングで吐き出してみたくなったんだよな。
私は今、傷ついたであろうあの時の自分の、心に触れたい。
そう思うのだ。
というわけで、前記事の続きを。
担任の先生が言い放った衝撃の台詞は今でも鮮明に覚えている。
子供なりに、自分に向けられた言葉の意味を考えたけど、深く考えるまでもなく、それはそのままそういう意味だったのだろう。
食べるのが遅いやつは迷惑だから、いっそのこと食べるなということか。
それを、学校でそう言われたから明日から弁当を作ってくれと『自分の口から親に言え』ということか。
私にみんなと一緒に給食を食べる資格はありません、と、そう親に言えなければ学校に来るなと、当時はそんな風に受け取った。
それは私のその時の解釈に過ぎない。
とは言え、
なんつー横暴な。
まぁ今じゃ大問題になるであろうことも、当時は罷り通っていたわけで、先生の言うことは絶対な時代だったんだよな。
私と同じような目にあって、あるいはもっと酷い目にあって傷ついた子も、たくさんたくさんいただろうな。
算数で使うデカい三角定規、竹刀、あと変わり種では孫の手とか、道具を使って叩かれることも当たり前だったし、親は自分の子が悪かったから暴力を受けたと判断した時代でもあったわけで。
って脱線したけど。
で、どうなったかと言えば
『ねぇねぇお母さん、先生がね、私は給食食べちゃダメだから明日から弁当持って来なさいって。』…とか言えるほど私、メンタル強い子じゃなかったんだよね。
もっと普通の軽めのことすら言えない子が、そんなことを言い出せるはずもなく。
きっと先生も皆んなも、明日になったら忘れてるよね?
明日になったらまた、今日と同じように給食の時間が来て、配膳の列に並んで、好きなものも嫌いなものも私のお盆に乗るよね?
大丈夫、明日になれば。
明日になったら、またいつも通り。
呪文のように頭の中で繰り返しながら眠りにつき、翌日の朝は何事もなかったように、いつもと同じように行ってきますと言って、学校へ向かった。
給食の時間が来ることを、あんなに恐怖に感じた日はなかったと思う。
配膳が始まる前に、先生にごめんなさいって言ったら許してもらえるかな。
みんなに、いつも食べるの遅くて、遊びに行けなくてごめんなさいって、謝ったら許してくれるかな。
…言い出せないまま時間は過ぎる。
それでも
そんな不安をよそに、授業中も休み時間も、誰も給食や弁当のことについて私に何も聞かなかったし、みんなの様子がおかしいと感じることもなく、いつも通りに時間は過ぎて行った。