
サン=サーンスが、アンリ・カザリスの詩 「死の舞踏」から、インスピレーションを得て作曲すれば、ピアノの魔術師ことFranz Liszt(フランツ・リスト1811-1886) は、カンポサント教会の14世紀のフレスコ画から、インスピレーションを得て、「Totentanz (死の舞踏)」(1839-49)を作曲したらしい。ピアノと管弦楽のための小協奏曲で、「Totentanz, Paraphrase on Dies irae for Piano and Orchestra」の管弦楽曲として、1865年に初演。
リストは、のちに「死の舞踏のパラフレーズ、怒りの日」と、付け加えるべきだと言った。ご存知のように、グレゴリオ聖歌「ディエス・イラ(怒りの日)」の変奏曲であるからだ。
絵画では、「死の舞踏」に属する、「死の勝利」、「死の凱旋」などが描かれているが、ピーテル・ブリューゲルの作品も、その一つだ。
14世紀のフラスコ画が描かれた時代は、黒死病(ペスト)の流行で、多くの人が亡くなった。中世ヨーロッパの魔女狩りは、猫もともども殺されて、ペストの菌をもつ鼠が繁殖した。

13世紀末以降だと思われる「ポンヌ・ド・リュクサンブールの詩篇」、「マリ・ド・ブラバンの詩篇」には、「三人の生者と三人の死者」の逸話がある。ボードアン・ド・コンデやニコラ・ド・マルジヴァルが作者として挙げられているが、この「死の勝利」は、その逸話が描かれている。
生を謳歌する三人の若い生者は、狩りを楽しみに出かけるが、いつにまにか森は墓場となり、教皇、枢機卿、教会高位聖職者と名乗る三人の死者と出会う。
「われらを憶えよ」
「この世を謳歌するお前たちよ。いずれ我々のようになるだろう。富も権力も名誉に価値はない。死後に価値があるのは善行だけだ。」
というのが「三人の生者と三人の死者」の一般的なストーリーだ。ほかには、狩りから帰った若者達が、三つの棺のなかを見せられた。悪臭を放つ腐った死体は、その三人の若者だったという話もある。
このブファルマッコが手がけたフレスコ画 「死の勝利」から、フランツ・リストの「死の舞踏」が誕生する。
ちなみに、LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007 のフランツ・ リストの演奏プログラムには、「死の舞踏」はない。
LA FOLLE JOURNÉE au JAPON-ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭 2007
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2007 5月4日 20:45ー21:30
ベルトラン・シャマユ(ピアノ)
バルトーク:ルーマニア民族舞曲Sz.76
バルトーク:ハンガリー農民の歌による即興曲 作品20 Sz. 74
リスト:2つのチャールダーシュ
リスト:ハンガリー狂詩曲 第13番 イ短調
リスト:ハンガリー狂詩曲 第3番 変ロ長調
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調
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- Franz Liszt
- Liszt: Totentanz and Fantasy on Hungarian Folk Tunes: Totentanz and Fantasy on Hungarian Folk Tunes
- こちらは、「死の舞踏」と小作品集の楽譜である。
Franz Liszt, Hugh Wolff, Philharmonia Orchestra of London, Boris Berezovsky ~こちらが、「死の舞踏」のCD
Franz Liszt: Piano Concertos Nos. 1 & 2/Totentanz, R. 457
死の舞踏は、ハンス・ホルバインの版画も有名である。
Hans Holbein, Totentanz- The Dance of Death
絵画、音楽、そしてアンリ・カザリスの詩と、「死の舞踏」は、芸術の世界の格好の題材であるが、いちばん先に掲載した、ピーテル・ブリューゲル の「死の勝利」は、ブファルマッコのフラスコ画から、約200年を経て描かれたものだ。ここには、アンリ・カザリスの詩からも読みとれるように、死がいかに平等であるかということも描かれている。

この4枚は、ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」のディティールであるが、死の象徴である大鎌をもつ死神、骸骨たちが、馬の亡骸を連れて、金貨を奪い、姦淫と略奪と破壊で人間界を襲う。4枚目の作品であるが、会食をしていたところを死神たちがやってくる。人間は剣をもち抗おうとしているところ。
レオナルドもそうだが、「会食」というシーンは、人間の生活には欠かせないシーンなのだ。
死は、いつも僕らの身近に潜んでいるのだ。最初に描かれたとされる「バーゼルの死」も、「死の舞踏」、「死の凱旋」、そしてブリューゲルの「死の勝利」も、図像や寓意が少々異なることもあるが、ひとつだけ同じ意図を含んでいる。
「Memento Mori メメント・モリ (死を忘れるな)」だろう。
生きる糧と生を謳歌する象徴でもある食事(会食)、ベッドに横たわり、明日のために身体を休めるその時も、いつ死神がやってくるのかを忘れるなということだ。
Totentanz 死の舞踏
ハンス・ホルバイン(Jr) 死の舞踏 のアルファベットアルファベット「P」と 「死の舞踏 Soldat 兵士」
ギュイョ・マルシャン(Guyot Marchant) 「死の舞踏」
ハイデルベルク「Totentanz(死の舞踏)」/バーゼルの死の模写
サン=サーンス ピアノを囲んで
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2007 サン=サーンス 演奏予定サン=サーンスと集団肖像画/サン=サーンスの自画像
フォーレが描いたサン=サーンス/猫の音楽家 / 死の舞踏デューラー 「死の馬乗り」
Memento Mori 「Danse macabre by アンリ・カザリス」
アンリ・カザリスの詩 「死の舞踏」 日本語訳
アンリ・カザリス ジャン・ラオールの筆名
女性の姿の変化 ハンス・バルドゥング・グリーンの作品から
「人生の三時代と死」、「少女と死」、「女の七時代」、「人生の三時代と三美神」
バーント・ノトケ 「死の舞踏」(二グリステ博物館)
シェイクスピア 七つの時代
人生の子午線通過/モロー 人類の生
ジョバンニ・ボッカッチョ, Giovanni Boccaccio
ペストとデカメロンタペストリー
「運命の三女神」聖マリア(マリエン)教会 ドーム壁画
「ディアナの狩猟 La caccia di Diana」、「Filocolo フィロコロ」、「Filostrato フィロストラート」や「Teseida テゼイタ」、「牧歌 Buccolicum Carmen」、「名婦人伝記 Juana I de Anjou」、「ダンテ賛美論 Vita di Dante」などの作品紹介。