留米の捕虜収容所「バルトの楽園」製作委員会 バルト海沿岸地域の主要な言語は、エストニア語とフィンランド語を除くと、いずれもインド・ヨーロッパ系だという。ラトビア語とリトアニア語は、インド・ヨーロッパ語族バルト語派と呼ばれ、北ドイツから、低地ドイツ語を話す貴族・聖職者・商人の移住者達は、たちの末裔は、「バルト・ドイツ人」 と呼ばれる。


1970年代に、大々的な樹木の立ち枯れ・衰退したドイツのSchwarzwald シュワルツバルト は黒い森のことだ。バルトは森の意である。


映画「バルトの楽園 ばるとのがくえん」での「バルト」とは、髭をさす。

民族・言葉・文化・習慣も違う捕虜となるドイツ人と収容する日本人だが、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、そしてビールを飲む事さえ許された収容所生活の中で、捕虜達は生きる喜びをみいだしてゆく。


その後、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。自由を宣告された捕虜達は、日本への語り尽くせぬ想いを『交響曲第九番 歓喜の歌』で伝えるのだった。


日本もドイツの軍人も口髭を象徴としていた時代の実話である。