英語の先生が、自分の前世を見た時の体験を話してくれた。
長椅子に楽な姿勢で寝て、マッサージをしてもらう。
オイルを塗って、最初に足、こめかみ、眉間、目の周り。
そのうちに、だんだん体がふわーっとしてくる。
そして優しい声で質問される。
西へ行きたいですか?
東へ行きたいですか?
北へ行きたいですか?
南へ行きたいですか?
体を離れて、部屋の窓を抜け出した。
そして、700年前のイギリスに降り立って、前世の自分を見たらしい。
それから、こうも言っていた。
生まれ変わっても、目は変わらないんだそうだ。
男性でも女性でも、イギリス人でも日本人でも。
前世に生きていたのと同じ目を持って生まれてくる。
人は死んだら、生まれ変わるものなのか。
今私が生きているのも、前の人生を生きたあと、生まれ変わってきたのだろうか。
じゃあ、今の自分になる前はどんな人生を生きていたのだろう。
イギリス人の先生みたいに、私は前世を見てみたくなった。
誰かマッサージ上手な人、協力してくれないかな。
前世について考え始めて、初めはただ、好奇心だけだった。
私の友達にモスクやコーランになぜか惹かれるという子がいるんだけど、もしかしたら前世は、例えば、中東でムスリムとして生きていたかもしれない。
そんなふうに前世は、今の自分の行動を説明できるのだろうか。
でもなんだか急に怖くなるんだ。
例えば、朝日が昇る前の真っ暗な中バイトに向かうときや、夜道を一人歩いて帰るとき。
それとは別に、戦争のアニメを見たせいなのだろうか。
戦争が終わったとき、沖縄であった集団自決をアニメにしたもので、たまたまこの前の授業で教職の授業で先生が見せてくれた。
見ながら悲しくて泣けてきた。
というのは別に私の前世の影響ではないと思う。
私だけじゃないよ。教室の半分位はあまりに酷な内容に涙をこらえていたと思う。
でも目をそらしちゃいけない。
私がずっと気づかないでいた悲しいことやつらいことは世の中たくさんある。今もだれかの苦しさを知ることなく、自分は安穏と生きていていいのか。
見て、その犠牲をなくすためには何ができるか、考えないといけない。
毎週のその授業にたくさん考えさせられる。
私が今生きているのが生まれ変わった人生だとしたら、前世の自分は死を経験したわけだ。
もしかしたら、あの日沖縄で集団自決を強いられた一人だったかもしれない。
国際紛争に巻き込まれて、地雷や爆弾で命を落としたかも。
毒ヘビに噛まれて亡くなったかも。
食べ物がなくて飢えに苦しみながら息を引き取ったかも。
あるいは、寒さで凍え死んだかも。
前世を見てみたいとは思うけど、恐ろしい死に方を見ることになるのなら、あまり見たくはない。
病気や事故や、いろんな苦しい死に方がある。
『No.6』にでてくるイヌカシの気持ちが私はすごく良くわかる。
イヌカシと同じように、私も苦しみに満ちた死を恐れている。
ほかの誰にも、つらい死に方をして欲しくはない。
でも、死そのものを恐れることはないよ。
だって生きているものはみんな、最後には死を迎える。それは自然なことなんだから。
私が悲しいと思うのは、まだ生きていたい、生きられる命が、為すすべもなく死なないといけないこと。理不尽に命が奪われること。
本当は、あってはいけないはずだ。戦争や集団自決やジェノサイドやテロなんて。
人間って、どうして、
お互いに殺し合ってしまうんだろう。。。
どうして前世の記憶を持たずに生まれてきてしまうのだろう。
もう一つ、もしくはそれ以前の人生の記憶を持っていたら、人ってもっと賢くなれるんじゃないかな。
少なくとも、悲惨な死に方をした人たちは、戦争をするよりも、どうしたら悲しい犠牲をなくすことができるか考えるはずだから。
人生って不思議だ。
20年ちょっとの自分の人生を眺めてみても、いろんなことあったし、その度に自分は変わってきた。
10年前の自分と今の自分を比べてみたら、別人と言えるかもしれない。
それなのに、ひとりの人間。10年という同じ経験を共有している。
前世というスケールで考えたとき、今の自分と前世の自分、どう変わるのだろう。
でもやっぱり、同じ魂を持つという点では、なにか共通するところがあるのかな。
結局のところ、前世を見てみたいというのは、自分ってどんな人間なのだろう、ということを私は知りたいのかもしれない。
前世の自分がやり残したことをするために生まれてきたはずなんだ。
今生きているっていうのは、そういうことでしょ?
私はきっと今の人生でなにか大事な役目があって、それがなにか思い出さないといけない。