大きなカブを買いました。スーパーで買った時には2つに折り畳んだ状態でビニールテープで括られていた葉っぱをほどいてみると、50センチくらいありました。青々とした葉はもちろん、白い根の部分もずっしりとして立派でした。


七草粥を食べたかったのです。8日にはもう七草は売り切れてしまっていて、仕方ないので大根とカブでお粥を作りました。


毎年17日になると、「何か食べたいものある?」と母は私に尋ねたものです。誕生日だから、好きなものを作るよ、と。

子どもの頃の私はひどく気難しかったので、自分でリクエストするのが嫌でした。希望を言って叶えてもらえても、全然嬉しくなかったのです。なぜなら希望なんてなかったから。なんでもよかった。

だから、

「七草粥を食べたい」

と答えました。

実際それが一番しっくりくる気がしたのです。カレーやラーメンのような味の濃いものよりも、豆腐みたいなあっさりしたものの方が好きだったから。それに、器に盛られた緑と白のあの色合いがちょうど私の好きな色でした。


七草がなくてもお粥はできるものなんですね。大根とカブが、ごはんとほんど同じ量入っていたけれど、ちゃんとお粥になっています。

土鍋いっぱいに作ってしまったので食べるのが大変だなあと思っていたら、あっという間に食べきってしまいました。お粥だからね。するする、お腹に収まっていきます。


土鍋を空っぽにした翌日、ツナを使ってサラダを作りました。

スマホで検索して見つけた「無限カブサラダ」。これだ!と思いました。これなら残ったカブもあっという間に食べ切れそうだ、って。

細切りにしたカブをごま油と粉末鶏がらスープであえるだけの簡単なサラダです。ところが、ボウルにカブが山盛りになったところで細切りを中断。これは、多すぎる。

まな板の上には細切りにされる途中のカブのスライスが4,5枚、そしてまだまだたくさんの葉っぱが残っています。


こんなこともあろうかと、昨日スライサーを買っておいてよかった。これは酢漬けにするしかない!

シュ、シュ、シュ。

細切りにする途中だったため、ぶつ切りのきしめんみたいになカブのスライスが量産されていきます。

ツルツル滑るカブをスライサーにかけるのは、実に冷や汗ものでした。誤って指をスライスしてしまわないか...。最後のひと切れまで気が抜けません。

塩もみにして、しばらくおいて、それからギュッと絞って、タッパーへ。上から酢をかけレモンの輪切りを乗せたら完成!そのまま冷蔵庫へ入れておけば2,3日後には食べごろになっているでしょう。


実はまだ、冷蔵庫にひと切れとっておいたカブがあります。しょうがを入れてあったかいポトフを作ろうかな。


こんなふうにカブを買って料理するようになるなんて、子どもの時には想像さえしませんでした。『ハウルの動く城』のソフィーみたいに、私もカブが苦手な子どものひとりでした。七草粥は別だったけどね。


食べてみれば美味しい。

やってみればできる。

大きなカブ。

お正月、実家に帰った。別に用事なんかなくてもなんとなく帰りたくなる時ってあるものだね。

パジャマを買いに行った。自分も買い物があるから、と言って叔母が一緒に車で乗せて行ってくれた。叔母とイオンに来るのは初めてかもしれない。

「この間さ、大阪に行ってきた」叔母が言った。
「へえ、電車で?」
「うん」
「ユニバ?」
「ううん。買い物」
「ひとりで?」
「秘密」
と言って叔母は微笑んだ。これはきっとひとりで行ったな、と私は確信する。
「ちょっと行ってくる、って言って出かける時があるの。うちは誰も一緒に買い物なんて行かないし」
「ちょっと行ってくる」と言って買い物に出かける叔母は、私には自由ですてきに映る。それでも時々はこうして私なんかと買い物に行きたい気持ちにもなるのかもしれないな。私には従兄弟が二人いるけれど、どちらも男の子で、お母さんと一緒に買い物するタイプではない。従兄弟は自分で服を買うの?と聞いてみたら、ネットで買うと言っていた。そっか。

冬休みのショッピングモールは家族連れでいっぱいで、何も買うものがなかったとしても疲れてしまいそうだった。
たくさんあるお店の中で、山ほどある服の中から、これ!というものを選ぶなんて不可能なのではないかと思えてくる。「これでいいや」と思えるものが見つかれば、それでいいのだ。
実際、着始めたら割と気に入ってしまった。

誰かが運転している隣の席というのは、どうしてこんなにも安心するのだろう。冷たい風はフロントガラスで防がれて入ってこれない。温かく、守られている場所。
帰り道、叔母の運転する車の中で、ぼんやりしていた時のことだ。赤信号で止まった時、サイドミラーに小鳥が飛んできた。セキレイだ。
窓を閉めていたのに、羽ばたき音がはっきり聞こえた。こんなに近く、手を伸ばしたら届きそうなところに。

「こんなの初めてだ」と叔母は驚いたように言った。「鏡が好きなのかな?」
私は昔、従兄弟の家でインコを飼っていたことを思い出した。黄緑色の羽の、ピーちゃん。ピーちゃんも鏡が好きだったという。
今はメダカを1匹飼っている、と叔母が話してた。

車の中はとても暖かで、ずっとこうしていたいような気持ちにさせられる。叔母の車にセキレイがとまった。私は家族の誰にもその出来事を話していない。
小さな、取るに足りないような、でも私にとっては一生に一度みたいな奇跡に思えた。子どもの頃ずっと願っていたことなんだ。あの小さな鳥が私のところに来てくれないだろうかって。
たとえ叔母が忘れてしまうとしても、ずっとこのことを覚えていようと思った。

「めっちゃお得だよ。8000円分のドーナツを5000円で食べられるってことだから」雪の日の朝、早くから起きてどこへいくんだろうと思ったら、ドーナツの福袋を買いに行ったらしい。1泊2日用スーツケースくらいの大きさの手提げ袋からは、ポケモンのクッションやカレンダーやエコバッグが出てきた。それから、ドーナツ25個の引換券が2枚。





「ドーナツ50個も食べるの?」私は眉を顰める。
「5月末までだから、毎週2個ずつ食べればちょうどいいよ」
「そんなに食べたら飽きそう」
しかし、この男は「めっちゃお得」を連発しては嬉しそうにしている。別にいいけどね。私のお金ではない。好きなように使って何が悪い。
「ドーナツ買ってこようか。食べる?」
「家中のお菓子が全て無くなってからね」
今はドーナツなんか食べてる場合じゃないのだ。前の家を引き払う時、管理人さんからいただいたお菓子がまだ戸棚の中に入っている。賞味期限が3日後だから早めに食べた方がいい。
「なんのドーナツが好き?」
私がいくらドーナツに興味なし、という態度を示しても、彼はめげることなく話し続ける。
「オールドファッション」
「チョコがかかってるやつ?」
「うーん、なんでもいいよ。シナモンがかかってるのとか好きかな」
「何個食べる?」
「2個」
「2個も食べるの?」
「朝ごはんにはたくさん食べたいから」
数日後、お菓子を全て食べ終えた後、約束通り彼は買ってきてくれた。
「シナモンのはなかったから、チョコがかかってるやつ2個ね」
リクエストにはきちんと応えようとしてくれるんだなあ。オールドファッションならなんでもいいと思っていたのに。自分用にはポンデリングを買ってきたらしいけど、翌朝私が袋の中を覗いた時にはきれいになくなっていた。
「夜食べる」と言っていた。「朝はあまり食べないから」
毎週はいらないけど、たまにはドーナツもいいなと思った日だった。

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「一緒に暮らしてよかったと思ってる?」
と尋ねた私に、彼は即答した。「うん」
本当にそうだろうか。
疑り深くなってしまうのは、私が頑張っていないからだ。私が自信を持つためには、まだまだ努力が足りない。「この人と一緒に幸せになる!そのためにはどんな努力も惜しまない」と一生懸命になることができれば、「一緒に暮らしてよかったでしょ?」と自信満々に聞けるのだろうか。
するわけないけどね。そこまで全力で家の中でも頑張っていたら、疲れちゃう。

というより、もう既に疲れてきている。料理や洗濯などの家事を今まで好きでやっていたはずなのに、2人分に増えた途端、なんだかイライラしてきてしまった。なぜ私ばかりやらないといけないの?って気持ち。
ひとりで生きているつもりでいよう、と決めたはずだ。一人暮らしの時と変わりないさ、って。確かに、家事の仕事量は変わった。洗い物は増えた。部屋が広くなった分、掃除に時間がかかるようになった。それでも、「ついで」と言えるようなものだと考えていたんだ。 私が生活していくためにはどのみち洗濯も掃除も必要で、もう一人分増えただけだって。
それなのに、イライラしてしまうのはなぜだろう。「ひとりの方がよかった」と思う気持ちがどこかにある。一人暮らしの方がやっぱり、効率がいい。

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「今まで別々の暮らしをしていた人同士が一緒に住むとなったら、
お互いにとって納得できる方法を選ぶのが大切です」
電気屋でインターネットの契約をした時、スタッフの人は言った。めちゃめちゃ説得力のあることを言ってくれるなあ。
2つのプランがある。プラン①は毎月の支払いがちょっと高い。工事が必要。プラン②はルーターを置くだけで工事はいらない。①と比べたら費用はかからない。毎月支払いがあるのは同じだけれど、最初の1年2年の間は割引がある。
①の方が快適らしい。Zoomや動画配信や写真のデータ容量をたくさん使う人にとっては、①の方がおすすめ。スタッフさんは力説する。

動画をあまり見ない私にとっては正直、どっちでもいい。だから、安い方を選ぶのが自然な気持ちだった。
一方、もうひとりの住民は①を推す。「たくさん使える方がいい」と言う。

お互いにとって納得できる方法。お金の払い方であったり、譲るところと譲れないところのバランスであったりするのだろう。きちんと話し合えばストレスなく暮らすことができるのだろうか。
私はそうは思わないけどね。

例えば、皿洗いも片付けも、言えば頼まれたことはやってくれる人だ。でも言わないと何もしない。実は私は、あまり人に頼みたくないんだ。
言葉に出して言わないと、それは消えずに心に引っかかって、それがイライラとなって現れてくる。イライラしている自分にイライラしてる。
不満は言った方がいいのだろうか。一旦それを口にしたらそれは本当になってしまうみたいでだから言いたくない。ひとりで生きていくつもりでいた自分はいつのまにかすっかり崩れていた。でも、それを認めたくないのだろう。
まずは認めないといけない。私はもう、ひとりではないんだ。