今回の宝塚の件では、私的に色々考えることがあって。
ぐるぐる頭の中で考えていてもキリがないので、一つ一つ言語化してみる。
話が飛ぶかもしれないけれど、ご容赦を。

「スタンフォード監獄実験」というものがありまして。
被験者21人を「看守」と「囚人」に分け、実際の監獄でそれぞれの役割を演じさせたというもの。
結果としては暴力にまで発展し、2週間の実験予定が1週間で終了。
まあ有名よね。
近年看守役への指示や信ぴょう性とか疑問視されている部分はあるものの、様々な点で興味深い。
実験を行ったジルバルドーの心理状態も含めてね。
「立場が人を作る」とよく言われるけれど、その負の方向性を検証しようとした実験。

宝塚もまた、日常的に「上級生」「下級生」という役割を演じているわけで。
しかもその中で売り上げだの人気だの役柄だのという競争が行われている。
そして下級生は自分のことでいっぱいだろうけれど、上級生たちは「売り上げ」「舞台の質」という責任も負う立場。
加えてそこに「焦り」というものを覚えてしまえば、どんなに普段温厚な人であっても、他者への態度がきつくなってしまう人は多い。

つまり宝塚は構造的に見て、「パワハラが起こりやすい環境」にあり、
そしてまた「環境は人を変える」というのも真理の一つと思う。

子育てをしてみて思うのは「虐待は連鎖する」ということ。(別に虐待されていたわけではないけれどw)

自分が嫌だったことを子どもにはしないようにするけれど、自分が育てられたようにしか子供を育てられないのだな、と思える部分がやっぱり残る。育てる方法をそれしか知らない、というかね。
宝塚が継承されていく中で、本体が大きい分、急な方向転換は難しく、今回のように時間が経ってから思わぬところで歪が出てくるのだろうな。

私がジェンヌ個人に責を求める気にならない理由は、こんなところかな。