神社にお参りして自分よりも他人の幸せを願う人はどのくらいいるのだろうか。

「大切な人がいつまでも美味しく食べられますように。」

ブログのトップページにも載せたこの言葉、とある神社にお詣りした時に見つけたものだ。

その神社は日本で唯一の料理の神様と言われるだけあり、絵馬には
・料理学校に受かりすように
・どこどこのシェフになれますように
・料理が上手くなりますように
と言ったものがほとんどだった。

他人の願いを覗くのも気が引けたのだが、ついつい気になって見てしまった。

だいたい似たようなものだなぁなんて思っていた矢先、ものすごく目を引く絵馬を見つけた。

「大切な人がいつまでも美味しい食べられますように」

何て絶妙な祈りなんだろう!と瞬間的に思った。健康でありますようにではなく「美味しく食べられる」という表現が秀逸だなぁ!と。

健康な身体があったとしても美味しく食べていない人はいるし、舌に美味しいものが食べても美味しいと感じられないこともある。美味しく食べるには、何を、誰と、どう食べるかが満たされる必要があると思う。とりわけ、どう食べるかが重要だと思う。それは心の在り方であると思う。

心から美味しいと思いながら食べられることほど幸せな時なないのではないだろうか。私は食いしん坊なのでそう思っている。

そして自分の大切な人がそうであるのならば、間違いなく自分も幸せだろうと。

以来、私は毎年初詣に行くと「大切な人がいつまでも美味しく食べられますように!」と願うようにしている。そして、そのためには自分も料理を頑張ろうと気持ちを新たにするのである。

ときどき今もあの絵馬を書いた人はそんなことを考えながら料理をしているのかなぁと考えることがある。その人に会うことはないけれども、自然とその人が台所で汗を流しながら食べてくれる人のことをひたすら想って料理をする姿を想像することができる。

何はともあれ、その方の願いが、私が料理をちゃんとやりたいと思ったキッカケになったことには間違いない。

これからも、食べてくれる人ありきで料理を続けていきたいと思う。自分のためだけの料理は雑になってよろしくないから。笑

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