私の母は人口股関節の手術をして

数年後に腰椎圧迫骨折で歩行困難になり

認知症の夫との二人の介護は難しくなり

4年前に介護施設へ入居しました。


同居していた母がいなくなると

当時私は仕事をしていたため

夫が昼間ひとりになり、毎日徘徊散歩で

私は帰宅時にGPSで夫を探して帰る日々でした。えーんえーんえーん


当時住んでいたマンションは最上階に

大家さんが住んでおり、状況を察知した大家さんから実質追い出されました。


その後知人の居る秋田県へ移住しましたが

1年後母の居る介護施設の近くへ引っ越しをし、コロナも収まり面会もでき、

毎月母に会えるようになりました。


耳は遠くなりましたがとても元気で

毎回週刊文春やお菓子をたくさん差し入れする日々が続いていましたが

今年2月に介護施設から連絡があり

食欲がなくなり食べても嘔吐するので

点滴をしておりCT検査をしますとのこと。


検査では特に病気はみつからず

胃カメラを飲む体力もないので様子見となり

それから数日後、病院へ入れるかこのまま施設で療養するか選択をする電話がありました。


当初慌てて病院へ入れてくださいと伝えましたが、おそらく入院しても点滴や胃瘻となることだろうと思いそのまま施設での療養をお願いしました。


私が会いに行くと目を閉じていましたが

元気になったら鰻食べに行こうね! というと

うん、と顔を縦に振りました。

それから数日後に母は眠るように息を引き取りました。老衰でした。


母を施設に入れた時、これから先はどうなるのだろう、病気になったらどうするのだろうと心配していましたが、子供孝行の母でまったく手がかからず天に召されました。

母は91歳大往生です。  


施設の職員さん達はほんとうに良く面倒を

見てくださり、亡くなった際は涙を流して

悲しんでくださいました。

ほんとうに感謝です。


私は亡くなった悲しみも癒えぬまま、葬儀社へ手配して遺体を安置所へ移し、親類への連絡や火葬の手配など、私は兄弟がいないので全部ひとりでやらなければなりませんでした。


菩提寺は東京のため火葬は地元でして

菩提寺で戒名をいただき

後日葬儀と納骨式となりました。


認知症の夫は母が亡くなったことを

瞬間でしか理解できず、すぐ忘れるため

何度も何度も伝えました。


お仏壇の遺骨も理解できず、お供え物も

お菓子だと食べてしまいます。爆笑爆笑爆笑


両親を見送り一人っ子の私は

身内も数人の従兄弟のみ。


夫に、

私は両親が亡くなり頼りはあなただけだからよろしくね。

と言ったら 


大丈夫だよ。安心しなさい。

と頭をポンポンしてくれました。爆笑爆笑爆笑


認知症の夫とこれからも仲良く暮らして行きます。