Vフォー・ヴェンデッタは「アメコミが原作のヒーローもの」に対して私が抱いていたイメージとはかけ離れていました。
過去に人体実験を受け、その結果、常人離れした反射神経と運動能力を持つに至ったわけで、それはまあ、アメコミのヒーロー誕生の経緯としてはありがちなパターンじゃないかなと思う。(偏見かもしれないけど)
そもそも、Vを「ヒーロー」と言い切ってしまう事自体に違和感があるほどです。ヒーローとかアンチヒーローとか、そういう分かりやすい言葉で表現できるキャラクター性をVは超えていると思うのですよね。
やはりVは「理念」そのものなんだと思う。人のいちばん芯にあるもの、最後まで残るもの、最も尊いもの。
「理念」
「思想」
「意志」
「信念」
それを具現化することなんて不可能に近いと思うのだけど、V FOR VENDETTA はそれを見事にやってのけちゃってると思うのです。これは考えれば考えるほどスゴいことです。
Vのマスクの下が気になるのは映画の前半だけ。結局マスクを取らないまま逝ってしまうけど、それで良かったんだと思えるはずです。どんなに高貴な顔立ちであっても、マスクの下に人の顔が見えた時点で、Vはただの人になってしまう。
それは違うと思う。
わたしたちが期待する正体はそれじゃない。どんな顔がそこにあっても私たちは満足しないだろう。
Vは「怪物」なんかじゃなかった。
銃弾を受けて死んでしまう彼は「普通の人間」だったんだ。
そのことに私たちはホッとするのと同時に、Vが「人間を超えた存在」であることも認識するんです。矛盾しているようだけど、納得させられるのです。
Vは「誰でもない」。
と同時にVは「みんな」でもある。
こんな不思議な感覚を、よく表現したもんだと思う。コミックでも映画でも。
私も、Vのように強い「意志」を持った人間になりたいと思う。何事にも決して屈しない強い「信念」を持ちたいと思う。
でもそのためには相当の覚悟が必要なんだろうと、Vを見ていると思う。とても常人にできることじゃない。やはりVは紛れもないヒーローなんだなあ。