Vはラークヒルで受けた実験の影響によって、それ以前の記憶を失ってしまっているということになっていますよね?
「自分が誰だか分からないようだ」とデリアの日記に書かれていましたよね。
でも私はこれは怪しいと常々思っているのです。
映画ではデリアの日記の部分がだいぶ省略されてしまっているので、ラークヒルでのVの様子があまり分からないのですよね、残念ながら。なので映画だけを見ている感じだと、『そうか、Vは自分のこと何も覚えてないのか』で終わっちゃうと思うんですが、原作ではもっといろいろと書かれているのですよね。ノベライズではその大部分が補完されています。
なのでここからは、原作の情報も込みで書いていきますよ。
人体実験の結果、Vの体に変化はないものの、反射神経と運動感覚が向上した、とのことでしたよね。では精神的にはどんな影響を与えたんでしょうか。
まず、ラークヒルでのVの精神状態について映画と原作でそれぞれどう表現されているかというと、
映画:「自分が誰だか分からないようだ」
原作:「完全に正気を失ってしまっている」
となっています。
原作によればデリアは、反射神経と運動感覚の向上以外は特にVの体には変化が無いものの、その人格が変わったと書いていますね、「大変…魅惑的になったのだ」と。これを「分裂病患者に見られる稀有な副作用」とデリアは記しています。
さらにデリアはVについて、「極端に寡黙だが、彼の人格には不思議な吸引力がある」と言います。
それって今のVと同じでしょうか?今のVって、とーーーっても魅惑的で吸引力があるのは異議なし!認めますけど、寡黙かと言うとそうかな?と思ってしまいます。だってVはよく喋りますし…あの魅力的な声で!
本当に実験がVの精神に影響を及ぼしたのかもしれません。現にデリアはそう考えたのですしね。
しかし、故意にそう思われるような演技をしたということって考えられないのでしょうか。
Vはヴァレリーの手紙を読んで今のVに目覚めたのは間違いないですよね。Vの人格が「魅惑的になった」のはその頃なのだろうと私は思います。つまり、投与された薬による作用ではなく、Vの心境変化に伴うものだったんじゃないのかと思うわけです。
というか、Vのあの堪らなく最高に魅力的なキャラクターが実験の成果物だなんて思いたくないのです、単純に。イヤだわそんなの!ラークヒルで地獄のような思いをして、その後長いこと独りで過ごしたことが今の彼のちょっと奇妙な言動の原因なのかも、とは思うんですけど、実験で投与した薬の影響でコロッと人格が変わるなんて…。なんか違う気がする。
最終的にVは、手製の爆弾(と毒ガス。原作コミックによればナパームとマスタードガス)でラークヒルの施設を爆破し、脱出します。その材料となる肥料用の薬品を不審に思われないように自室に持ち帰り、溜めていたんですよね。幾何学的な模様を描くように部屋に撒いたりして。プロセロは怒ってたみたいだけど、デリアはVが見せる特異な行動に研究欲が高まり、その意味を理解するためにVの行動を最後まで見届けたいと思うんですね。Vはデリアの研究者としての欲求を利用しながら、爆弾の材料を自分の部屋に蓄積していってたということですよね。大胆ですよねー、そして計画的です。
そもそもVは、爆弾を作る知識をどうやって得たのでしょうか?ラークヒルの終盤ではVはだいぶ自由が許されていたようですが、流石に爆発物関連の書物なんて読ませて貰えませんよね?
Vはもともと、収容される前からそのような(化学的な?)知識がある人だった。そのことがデリアたちに気付かれない&警戒させないように、自分の素性が分からなくなったフリをした…のではないでしょうか。
そうやって関係者らの目を欺きながら、爆弾を作っていたんじゃないでしょうか?極端に寡黙だったというのも、不用意な発言から彼の計画がバレてしまわないようにと謀ってのことなのかもしれない?
でもやっぱり、本当に何も覚えてないという可能性もあると思うのです。
過去の自分に関する記憶を失っても、それ以前に身につけていた知識(爆弾を作るための)は消えなかったのかもしれないし?
自分の名前すら覚えていないから、あの扉に刻まれた"V"の文字が唯一のアイデンティティとして彼の脳裏に深く刻み込まれ、あんなに"V"に固執するようになったのかも知れない。
愛し愛された家族や恋人の記憶もすべて失ってしまったから、Vにはヴァレリーの手紙がより一層心の支えになったのかもしれないし、だから彼はヴァレリーを今でもあんなに神聖視しているのかもしれない。
過去をすべて奪われて空になってしまった自分を埋めるかのように、あの大量の書物を貪るように読んだのかもしれない。…(そのとき気に入って読んだ古典の影響のせいで、あの芝居がかった言動が身に付いたとか?)
Vはシャドウ・ギャラリーにヴァレリーの部屋を作って、厳粛に、丁寧に、大切に、今でもスカーレット・カーソンを絶やさず手向けています。
もしかしたらVの家族についても、シャドウ・ギャラリーのもっと奥深いところに大切にしまってあるのかも知れないし、やっぱり無いのかも知れない。記憶を失っているなら、やはりヴァレリーこそがVの心に刻まれた唯一の人だったのだろうと思う。
でも、「かつては自由に考え話すことができた」時代をV自信が知っているからこそ、その自由を取り戻すためにVはあれほどの行動力を以てこの革命に取り組めたのではないだろうか?とも考える。記憶を失っているなら、Vは一度も本当の自由を謳歌することなく死んでしまったことになりますよね?なんだかそれはしっくり来ないのです。
結局、どちらか分かりません…。考えが二転三転してしまう。
どちらがVにとってはマシなんだろうか。
いっそ覚えていない方がマシなんだろうか?
Vはあのマスクの下で、どんな想いでいたのでしょうね。
けど、思い出したぞ。えっと、小説にこんな記述がある。
Eggie in the basketを作ったときの記事にも書いたけど、小説では、「英国の彼の出身地では、これをエジプト風フィッシュアイ・サンドイッチと呼んでいた。」とあり、さらに「~省略~、絵が浮かぶようなこの名称を、彼は気に入っていた」と続くのです。
あれ、これって、故郷の記憶が残ってるってことなんじゃないの…?!
やっぱVは、ラークヒルではデリアらの目を欺く為に演技をしてたのでしょうか?!
あのマスクの下には、明かされていない彼の秘密がまだまだあったのでしょうよね。