1882年(明治15年)…
朝鮮半島全土を統治
している李氏朝鮮
という王朝から、
金玉均きんぎょくきん
(キム・オッキュン)という青年が、日本に留学に
やってきました。
アジア諸国の人間は、
西洋の人からは、
人間として
見られていない。
文明でも軍事力でも、
西洋とは大きな差を
つけられている。
日本と朝鮮、清国の
三国が手を結び、
西洋列強に対抗すれば、
対等になれるだろう!
金玉均と福澤諭吉は
同じ志を持ちました
日本はかろうじて
独立国を保っていても、
李氏朝鮮は、
清国の属国です
世界で文明国として
発展しているのは
主権国家。
朝鮮の独立と発展のため
福沢諭吉は、金玉均に
手を貸します。
金玉均は、自国のために
一生懸命に学び、
福澤諭吉の協力により
資金を集めます。
そして日本と同じように
朝鮮も近代化して、
共に西洋に対抗しよう
と努めていました。
ところが李氏朝鮮は、
世界でアジア諸国が
奴隷のようにされている
ことには無関心
このままでは、
自分の国も危ないのに、
国内の政権争いばかりに
夢中になっています
いつまでも古い政治を
行っていて反乱も多い。
財政的にも破綻はたん寸前。
このままでは
朝鮮の未来はない
そこで金玉均は、
朝鮮にもどり、
クーデターを起こし、
新政権をつくるも…
すぐに失敗に終わり、
日本に逃げ帰ることに
そんな金玉均を
福澤諭吉はかくまって
いたのです。
金玉均はあきらめず、
清の政治家に会いに、
上海へと向かったけれど、
それはワナでした。
そこで金玉均は射殺され
中国も朝鮮も、本当に
刑が残酷ざんこくすぎ
なんですよね…
この知らせを受けた
福澤諭吉は怒りに
ふるえます
なんという
野蛮やばんな国だ!!
福沢諭吉にとっても、
祖国で追われる身
となってしまった
金玉均をかくまうことは
命がけであったと
思います。
自国を思い、
一生懸命に学び、
命がけで国を変えようと
頑張っていた青年が、
こんなひどいことに
なるなんて…
中国も朝鮮も、
アジアが西洋の国に
どんどん植民地化されて
いく世界の中で…
そのような
周りの危機には、
いっさい感心を持たず
目先の利益ばかり求め、
いつまでも
誰が権力を持つのかと
国内で争いばかり
している。
そんなアホなことを
していては未来はない。
そんな国とは
もう協力し合えない
そんな怒りから
福沢諭吉は
『脱亜論だつあろん』
というものを書きます。
アジアでまとまって、
それぞれの国の独立を
しっかり守りながら、
みんなで協力して
西洋と対等になろうと
頑張っていた福沢諭吉。
ところが、
こりゃダメだ
ということになり、
アジアで協力し合う
ということには失望…
そんなアジアとは
もう縁を切って、
自分たちの独立を
考えていこう!という
気持ちに変わりました。
次回は
脱亜論について、お話を
したいと思います。