福沢諭吉は、

今の大分、福岡県である

中津藩の

身分の低い武士の家に

生まれたそうです。



好奇心旺盛おうせい

いろいろなことに興味を

持つ子どもだった。


また、努力もせずに

神だのみをすることや、

迷信や占いで何かを

決めることがきらい。



諭吉のお父さんは、

実力があるのに

武士の中の身分制度が

厳しいために、

低い身分のまま亡くなる。


子どもの時も、

身分の高い家の子どもが

いつもいばっている。

身分の低い家の自分たち

は、いつも言うことを

聞くしかない。



そんな世の中はおかしい

と思いながら育ち、

身分制度は親のかたきで

ござると言っていた。


その後、

「適塾てきじゅくという、



オランダ語を通じて

西洋文化や学術を学ぶ

蘭学らんがくを学ぶ塾で、

西洋の知識をつけていく。



ところが

日本が開国すると、

横浜にイギリス人の町が

できて、オランダ語は

全く役に立たないガーン



多くの蘭学の友人たちが

あきらめていく中、

福沢諭吉は、もうぜんと

英語の勉強を始める炎炎



そうして諭吉は

幕府に仕えて

アメリカに二回、

ヨーロッパへ一回、

西洋の国を見た。



西洋には、日本にはない

学校・病院・動物園・

運河・鉄道・議会・

株式会社など、

珍しいものがたくさん。


しかし、

蘭学をよく学んでいた

福沢諭吉は、それには

おどろかず、

社会のしくみが見事だ!

という事におどろいた。


フランスでは、

手紙がどうして

相手に届くのかと、

四日間も

いろいろな人に聞いて、

郵便の仕組みを知り、


西洋の文明社会の

見事さに感心。

『西洋事情』という

本を書いて、日本人に

西洋の文明を紹介。


その後、

慶応義塾けいおうぎじゅく

という塾を開き、英語や

西洋の新しい学問を

若い人たちに教える。


明治時代、

『学問のすすめ』、

『世界国づくし』という

子ども向けの

世界地理の本も書いた。


ただ、西洋はすごい!

とマネをするのではなく

日本が独立国として、

列強と対等になる!

という目的を持って

しっかり教えていた

というところが

福沢諭吉のすごいところ

ということですニコニコ


低い身分の武士の家で

厳しい格差社会の中で

育った福沢諭吉は、

世の中はそんなに

甘くないと、

必死に勉強していく。


自分自身だけではなく、

世界で厳しい状況に

おかれた日本を、

なんとか独立させようと

学問の世界から

一生懸命に働いた人物。


ということで、

福沢諭吉から学べること

も多いかと思いますニコニコ


福沢諭吉のもう一つの

有名な言葉。


一身独立すれば、

一国独立す


日本が独立するためには

国民一人一人が

独立しなければならない。


 学問のすすめ

 国民が進んで勉強する

 下矢印下矢印下矢印

 国民が一人一人独立

 下矢印下矢印下矢印

 明治の目標

 国家の独立


慶應義塾(今の慶應大学)

をつくる。



明治5年 学制発布

小学校は国民の義務

となる。


ということで、

日本が独立するためには

まず国民一人一人が

独立しないといけない

という、

今までにない考えを

広めたのが

福沢諭吉でした。


今回も斎藤武夫先生の本から学んで、

まとめさせていただきました爆笑