前回の続きですニコニコ


吉田松陰の弟子の影響を

受けた坂本龍馬は、


外国人の言いなりの幕府を

倒さなければ!と、

幕府のリーダーである

勝海舟かつかいしゅう

斬りに行きましたが…




そんな龍馬に対し、

勝海舟は、

アメリカへ行って

見てきたことなど

いろいろな話をしました。



アメリカでは

国の政治は、選挙で

選ばれた人物が行うので、

身分や家柄がよいという

だけでリーダーになれる国

とは勢いがちがう。


今のように、

国内で戦い合っている

ようでは、日本が危ない


どっちが勝っても、

日本全体で見たら、

弱っていくだけ。


そんなことでは西洋の

植民地にされてしまう。


西洋にやられないために、

軍艦や大砲が必要だ!


でも日本にはないし、

海軍も陸軍もない。


それを手に入れるには、

西洋と付き合うしかない。


それで幕府だ、長州だ、

薩摩だなんて、

日本人どうしでケンカ

をしていたら、

どうやって国を守れるのか

ケンカなんてしている

場合ではない。


国が分かれていてはダメ。

1つの国にまとまれ。


人殺しなんかやめて、

一緒に海軍をつくる

仕事をしよう!



このような話を聞いた

坂本龍馬は目覚めます。




日本一の先生の弟子になり
これから日本のために
働くという決意を
お姉さんへの手紙に
書いています。

ここで、
ペリーがやって来て、
不平等条約を結んでから
どういう力が
日本を動かしたのか、
整理します。



天皇という権威が、
日本全体を大きく
包んでいます。

そして公武合体&尊皇開国
ということで、
幕府も天皇を敬い
朝廷と協力しながら
政治を行い、開国を進める
ということを掲かかげます。

薩摩や会津藩も、
これについて従います。

長州藩は変なことを
言っているから、
こいつを倒して
みんなでまとまろうグー炎

そして長州藩だけが、
吉田松陰先生を殺された
うらみもあり?
幕府なんかに任せられん!
と、小攘夷→大攘夷の考え
に変わり、幕府を倒す
という考えを早くから
持っていた。

小攘夷→外国人は追い払え
大攘夷→開国するが、西洋と対等に
付き合える日本にする!

外国人の言いなりの幕府は倒す!

こうして薩摩藩と長州藩は
長い間、にくみ合って
いきました。



薩摩は幕府と組んで、
長州をつぶそうとした!

ということで、
長州の武士は、
薩摩をにくみ、
草履ぞうりの裏に『薩摩』
と書いて、踏みつけて
歩いていたと言います笑い泣き



日本の中で、最も力のある
長州藩と薩摩藩が、ずっと
にくみ合っていたら、
日本は動かなかったに
ちがいない。

ここで坂本龍馬は、
長州と薩摩が手を組めば、
新しい日本に
生まれ変われると考え、
行動しました!



龍馬も、もう幕府では、
もたないんじゃないか
と考え始めました。

そこで薩摩の代表の
西郷隆盛と、長州の代表、
桂小五郎(のちの木戸孝允)を
会わせて、
薩摩と長州の同盟を
結ばせようと企たくらみます。

実際に会ってみると、
お互いに相手の方から
『同盟を組んでほしい』
と言い出すのを待つ、
そう言わせたい!
とような状態…タラー


そこで龍馬は、


と言って
説得したそうですが、
カッコに入る言葉は
何でしょうか??

齋藤先生の授業では、
子供たちはきちんと
答えが書けるそうです爆笑



これが吉田松陰先生以来の
教えであり、
薩摩のためでも
長州のたもでもなく、
国のため!という思いが
幕末の志士たちの同じ思い
となっていきました。

こうして
1866年(慶応2年)、
薩長同盟が成立しました。

こうして先程の構図も
このように変化しました。


幕府は尊皇で開国派。


薩摩は長州藩の方につき、

尊皇大攘夷ということで、

開国する方向。



結局みんな、尊皇であり、

天皇を中心にまとまる、

開国するという意志は

同じだけれど…


新しい国づくりには

どちらが政治を行うのか

というところで

別々のことを考えていた、

ということになります。



この辺りの日本人の考えは

齋藤先生の授業は

とてもわかりやすいですニコニコ


時間のある人はぜひ、YouTubeで

CGSの日本が好きになる歴史授業の

シリーズをみることをオススメ。

そして概要欄で紹介されている

本とDVDは、

本当に買って良かったと思います♪


さて、

この先はどうするのか

次回に続きます。