今日も齋藤武夫先生の

日本が好きになる

歴史授業から、

お話をします♪


坂本龍馬は有名です。


仲の悪い薩摩と長州

の間を結び、

幕府を倒すため、

幕末に活躍した人物…



けれども

外国人のことなども

合わせて見ると、いろいろ

なぞもあります。


幕末のヒーローだ!

と言う人もいれば、

イギリスの武器商人の

手下じゃないか!と

マイナスのイメージを

持つ人も…


私には真相は、

わかりませんが、

日本をよくしようと

情熱を持って頑張った

日本人の一人ではないか

と思います。


これから何回かに分けて、

坂本龍馬という人物、行動を

見ていきたいと思いますニコニコ



1835年土佐藩に生まれる。


齋藤先生の授業で
坂本龍馬は…

剣術が強かった。

少年時代は泣き虫だった。
18歳ぐらいまで
寝小便をしていた。

日本で最初の貿易会社を
つくった人。

ペリーの黒船を
自分の目で見た。

ということが紹介されて
います。

ペリーがやって来て
およそ10年後、
龍馬28歳の時に
土佐藩を脱藩。

このころ、京都では
尊皇攘夷の嵐。

幕府側(京都守護会津藩・
新撰組しんせんぐみ)が、


攘夷派と戦い、
長州と幕府も戦争をした。


そういう大変な時期に
土佐藩の中でも
うんと低い身分であった
坂本龍馬は、
自分も国のために
何かしたい!!と考えて、
土佐藩を出て行きました。

当時は、藩を抜ける
ということは死罪。

命がけで日本につくそうと
江戸に向かいました。

なんと坂本龍馬も、
吉田松陰の弟子である
久坂玄瑞くさかげんずい
会っていたそうです。


自分より年下の
久坂玄瑞江が、
めちゃくちゃ勉強していて
志士を目指していた!

ということで、
坂本龍馬もまた、
吉田松陰先生の影響を
受けていたと思われます。
 



というわけで、
この頃の龍馬は
攘夷の志を持っていて、
幕府のリーダーに会い、
斬りに行った
という伝説があります。

そこで出会った人物が、
運命の出会いとなり、
龍馬の考えは変わります。

その人物とは?!


次回にお話続きます♪