1862年、薩摩藩の

最高指導者である

島津久光の軍勢

400名余りが、

江戸から帰る途中、


4人のイギリス人が

馬に乗ったまま、

久光のかごに近づいた。


馬をおりて、何度も

道をゆずるように、

警告したにもかかわらず、

イギリス人たちは

言うことを聞かずに

久光のかごに近づいた。



だからお供の者たちは、

お殿様をお守りするため

イギリス人に

斬りかかった。

これは日本の法律では、

許されること。


けれどもイギリス人に

してみたら、単なる

殺人事件でしかないタラー


一人は死亡。

二人は重症。

女性一人は帽子と髪を

飛ばされただけで無傷。


これが生麦事件である。


怒ったイギリスは

幕府に謝罪と、

10万ポンド(28万両)

要求してくるガーン


さらに薩摩藩に対しては、

斬った武士を

引き渡しなさいと。(処刑)

そして賠償金は

2万5千ポンドを

支払いなさいとガーン



薩摩藩!なんてことを

してくれたんだガーンと、

イギリスはこわいので

めんどうを起こしたくない

と考えている幕府は、

言われるがまま、

イギリスに賠償金を

支払ったタラータラー

ちょっと値切って6万3千両、

今だと40億円ぐらい払ったんだとかびっくり



では、薩摩藩は、

どうしたのか??



大久保利通は、

このような手紙を

残している。



大名行列について、

わが国法は厳しい。

無礼な行為があれば、

切り捨てるべき

定めている。


だから薩摩の武士は、

国の法を守った者であり、

罪はない


彼らは犯罪者ではなく、

薩摩藩が賠償金を支払う

義務はない。


逆に、

イギリス人が日本にいて、

日本の法を守らず、

罪を犯して

切られたのである。


西洋人といえども、

日本に来たのなら

日本の法に従うべきなのは

言うまでもない。


その法は幕府が決めたもの

なのに、法を守らなかった

イギリスに対してあやまり

賠償金を払うことこそ、

まちがっている。


その結果…


イギリスは、

いくら幕府と交渉しても、

薩摩に言うことを聞かせる

力は、幕府にはない

と知りますタラー


鹿児島湾に

軍艦7隻で押し寄せて、

24時間以内の回答を

せまったガーンガーンガーン


両者が交渉する中で、

薩摩の決死隊は、

スイカ売りに変装して

イギリス艦隊に

忍び込んで切り殺そう

とするも、

あやしいやつらだと

あっさり見破られる

なんていう喜劇も

あるそうで…(笑)



今まで砲艦外交といって、

相手国を大砲でおどし、

外交を行って、

世界で恐れられていた

イギリスのおどしにも

薩摩藩は、

怖いもの知らず??で、

いっさい屈することなく

だんことして戦う姿勢グープンプン


ということで、

なんと!!

国同士の戦いでもなく、

世界一の強国、大英帝国が

日本の一部である薩摩藩と

戦争することにガーンガーンガーン


今でいうと、

イギリスVS鹿児島県って、

ビックリな戦ですよねアセアセ




薩摩藩が負けたようなこと

を書く小説や歴史本が

多いということで、

ボコボコにされたのか、

と思いきや…


じつは、

イギリス艦隊の船の大砲は

ただの砲丸ではなく、

投げた場所で爆発する

最新式だったけれど、


不発は多いし、
途中で爆発したり、

薩摩に向かい「打て~!」

とやった瞬間、暴発して

勝手に自爆したり(^o^;



それに対して

薩摩の大砲は旧式。

爆発もしないタイプ

だったけれど、なんと!

指揮官の乗った船に命中。


イギリス艦長、副艦長が

二人とも戦死して、

鹿児島湾を出ていった。


…ということで薩摩藩は、

実はこの戦争に、

どちらかと言えば

勝っていた!びっくりびっくり



しかし、結果は

イギリス軍の戦死13名、

負傷者50名、


薩摩軍の戦死10名、

負傷者11名、

鹿児島城下の500戸が

焼かれ、

蒸気船3せきを失い、

薩摩藩の西洋式の工場も

こわれてしまったタラー


この戦争で、大久保たち

薩摩のサムライたちは、

世界最強の

イギリス海軍の実力を

体験した爆弾爆弾爆弾



イギリスの新聞記事では、


鹿児島の戦争のうまさは

日本第一である。

薩摩藩の兵士の

勇敢ゆうかんさは、

これまで見たアジア人の

中で、ぬきんでている。


すみやかにもう一度

攻撃しなければ、

英国のはじとなろう…


と、軍艦を増やして

次の攻撃についての

計画が書かれていたガーン


薩摩の武士たちの

勇敢さには、

本当に本当に

おどろきでした!!


薩英戦争とは、

このような戦争でしたが、


次回、この戦争の後、

どうなったかをお話したい

と思いますグー