前回、江戸時代の

寺子屋では、

高学年になるまでに

どのようなことを

学んでいたか

お話をしましたニコニコ





入学時に、

先生や先輩を尊敬する、

礼儀作法を習い、

を持ち、



「いろは」ではなく、

漢数字の書き方、

足し算、引き算、

かけ算、割り算などの

計算を習い、

ソロバンを学ぶ。




低学年になると、

いろいろな名前から、

それぞれの家のいわれ、

昔の出来事、

地理歴史を学び、

方角、周囲の地名

が書いてあるものを使い、
その地の歴史を学ぶ。



中学年になると、
手紙の書き方
作法を通じて季節(暦こよみ)
ビジネス文書の書き方、
仕事や商売をする上での
心がまえを学ぶ。

そして、高学年になると
男の子、女の子と
教室を分けられる。

女の子でも、
きちんと教育が受けられ、
先生も女性が多かった。
寺子屋の先生は、
半分以上が女性だった。

日本では、
世界初女流文学者、
紫式部や和泉式部が
登場したように、


女性も差別なく、
きちんとした教育が
行われていた。

男尊女卑だんそんじょひで、
「日本は女性を
差別している」

なんて言う人がいるけどタラー

日本の重要な神様は女性であり、
古い時代から女性は大切だと
考えられてきた。

西洋とは歴史のつくられ方が、
全くちがう。

女の子は、文章の書き方、
すらすら書きやすく、
実用性の高い「ひらがな」
を学び、
漢字と仮名まじりの文。


男の子は「ひらがな」
を教えてもらえず、
カタカナ・漢文を学ぶ。

日本には古い歴史があり、
ひらがな→漢字のくずし
カタカナ→神代文字

男の子は、カタカナを
覚えることにより、
神代文字の時代から
日本という国が
つくられてきた歴史
を学ぶ。

漢文が読めることで、
平安から明治までの
道徳の教科書だった、
実語教(じつごきょう)
童子教(どうじきょう)、
四書五教などを学ぶ。

今の学校と同じくらい
全国に寺子屋があった
ということで、
民間教育が盛ん
行われていた

このようなことが
基本で教えられていて、
さらに各地域によって、
オリジナルの教えがあったりした。

江戸時代の人たちの
民度が、かなり高かった
ということがわかります。

ここで学ぶことは、
人が生きていく上で、
心の支えとなっていく。

そういうことを
先生から教わる。

先生は師匠であり、
大人になっても、
悩みがある時に、
相談に行くということが、
自然に行われていた、
といいます。

筆子塚がつくられるぐらい
の尊敬される先生が、
次々と輩出される。


また、そんな先生が、
次々と輩出できるぐらい
優れていた
江戸時代の教育。

こうした民度の高い国
だったからこそ、
他人を思いやり、
国を守る気持ちも強く、
日本は様々な国難を
乗り越えることができた、
と思います。