今日は、YouTube

小名木善行先生の、

目からウロコの歴史から、

江戸の教育について

書こうと思いますニコニコ


江戸時代の子供たちは、

寺子屋という場所で、

教育を受けていました。



この時にお世話になった
お師匠さん(先生)が
亡くなった時、

先生のおかげで
本当に豊かな暮らしが
できるようになった

ということで
先生に感謝をし、
教え子たちが、
自分たちで費用を
出し合ってつくった
ものが、筆子塚(ふでこづか)
というもの。


それが、
千葉県の分布図だけでも
こんなに沢山あるびっくりびっくりびっくり



この黒い点・全て!

幼稚園から大学まで、
いろんな先生に出会うけれど、
生徒たちが、先生が亡くなるまで
覚えていて、先生のために
碑(ひ)をつくる。

そして、
先生ありがとうございました!
と思える機会が、
今の教育にあるだろうか??


それぐらい、
江戸時代のお師匠さんは
尊敬されていたし、
みんなの心の柱
になっていたということ。

千葉県だけで、これだけ
子供たちの心をつかむ、
しっかり尊敬される
先生がいた、というのは、
すごいことですびっくり


この先生たちは、
決してお金持ちでもなく、
子供たちも、みんな貧乏、
授業料は、お米や野菜。


決して、ぜいたくはできない。

ただひたすら、
人の道とは何ぞや
ということを教える。

江戸時代の最大の
教育の特徴は、
官営ではないということ。

つまり江戸時代の学校は、
政府などがお金を出して
つくったものではない、
ということです。

武家のための藩校
というものはあったけど、
民間の寺子屋は、
みんな私塾だった。

そうすると、
つまらない教え方しか
できない、
ただテストでいい点が
とれるようになるだけの
学校は、どんどん
つぶれていく。

親からみても、
子供からみても、
本当に立派な人間に
なれる!と思える先生
でなければ生き残れない。

では、寺子屋では
どのような教育が
行われていたのか?

一番最初に習うことは、
先生を敬うやまうこと。
先輩せんぱいを尊敬すること。
あいさつなど礼儀作法。
これが原点になっている。

今は「礼」と書くけれど、
昔は「禮」と書いていた。

これは、
相手にわかるように、
豊かに示す
という意味。

「おはようございます」
と言うときも、「おはようございます」と
小さな声では相手にわからない。

相手にもわかるよう、
大きな声で元気よく、
これが礼儀ということ。

そして
食事の作法を教わり、


基本的な行動様式を教わる。

そして筆を持たされ、
文字を書く。



最初に習うのが、漢数字

一、二、三、四、五…

そして計算を教わる。
足し算、引き算、
かけ算、割り算。

そして低学年になると、
いろいろな名前を教わる。

なんと先生は、
生徒一人一人に対して、
○○という名字の祖先には、どんな人物がいたかなど、
その生徒の持つ名前
について、教えてくれる

○○という名字の、
○○□□という人物は、
昔、△△の戦いで、
こんな活躍をした、
など、一人一人の名前の
祖先についてを、
みんなで学ぶことで、
「おまえの祖先はすごいなぁ」
「おまえだって立派な祖先だよ」と、
お互いに対する
尊敬の気持ちが生まれる。

そして周辺の村、町、
川や橋などの名前の由来
を一つ一つ教わる。

そうすることで、
みんながどういう
町づくりをしようとしたか、
ということを、自然と
子供たちが理解する。

そうすると、
郷土に対する愛情
生まれる。

ここまでが、
小学校でいう低学年向け
ということです。

ここまで聞いても、
すごいですよね~!

私は自分の名前についても
育った地域についても、
あまり知りません。

学校でも、地理といえば、
場所や名前、産物などしか
教わった記憶がありません。


なぜ、大阪という名前なのか、
なぜ、徳島なのか、
なぜ愛媛なのか、
なぜ、江戸という名前で
東京に変わったのか。

そういうことを一つ一つ学ぶ。

だから心が育つんですね~ニコニコ

そして、
手紙の書き方、
作法を通じて季節を学ぶ。

立派な人の手紙を
写して学ぶ、
季節の言葉を学ぶ、
季節を通じた花を学ぶ、
それが暦を学ぶことに
つながり、
農家であれば、
いつ種まきをする、
いつ草取りをする、
いつ収穫をする、という
農作物を育てる過程かてい
を学ぶことにもつながる。

ということで、
続きはまた
次回にお話をします♪