前回、

55歳からスタート

日本中を歩き回って

地図を作ってしまった

伊能忠敬について

お話をしましたニコニコ




そしてそれが、

世界をおどろかせるような、

すばらしい地図だった!


ということで、今日は、


伊能忠敬がどういう

リーダーシップをとって

この地図を

完成させたのか。


ということについて、

お話をしますニコニコ


今回もYouTubeのCGS 偉人伝から

まとめさせていただきます♪


リーダーシップの一つ目、


① 当たり前のことを

バカにしない。


伊能忠敬は17年かけて

地図を作り上げたけど、

やっていることは

当たり前。

測量士なら

誰にでもできること。

だったと言います。


自分のいる場所から、

ある地点まで、距離を測る。

そして角度を測る。


それをひたすら繰り返し

海岸沿いを描いていった。



地図づくりの見学をしに来た者が、

「なんだ、そんな方法なら

自分にもできる」

と言って帰って行ったというけれど。


それをやった人は

誰もいない。


当たり前をバカにせず、

当たり前の方法で17年間、

コツコツ頑張って、

この地図を作り上げた。



② こだわり抜く


伊能忠敬のつくった地図と、

現在の衛星写真を合わせると



北海道と九州の位置が

ずれてはいるけれど、

ほぼピッタリびっくり


地上から見て

つくっていたのに

かたちや、離島の位置など、

ほぼ当たっていて、

本当にすごいです!!


どうしてこれほど

正確な地図をかくことが

できたのでしょう??


それは伊能忠敬が、

正確さに

こだわり抜いたから

ということ。


今なら、みんな同じで

長さを測ることができる

定規(じょうぎ)というものがある。


だから、基準なんて当たり前。




でも、それすら

この時代にはなかったガーン



忠敬は、これが一尺(いっしゃく)

という定規を自分で作ってはいた。


しかし、金属なので、

さびたりしてしまう。


そこで忠敬が、

一番あてにしていた基準。


それは、自分の歩く歩幅!


一歩、69cmで

歩けていたという

記録があるそうでびっくり



それを極めるために、

忠敬は訓練をしていた!


自分の住む門前仲町から、

学舎のあった浅草まで、

毎日歩いて通う。




その間のルートを

全く同じルートで、

全く同じ歩数で歩く。


そんな試みをしていたびっくり


その距離、5.5キロ。

これを69cmで割ると、

7970歩!

だいたいそれぐらいの歩数だった

と予想されます。


それを毎日、毎日

数えて歩く。


すごい努力ですよねびっくりびっくりびっくり



それが忠敬の地図の

正確さを裏づけている、

ということです。


③やり続ける


測量の旅というのは、

想像以上に大変なこと。


海岸沿いを歩けば、

いつ外国人に襲われるか

わからない。




未開の地に行くので、

宿がどこにあるかも

わからないガーン


ある時は、

食糧がつきて、

三日三晩、

飲まず食わずで

宿が見つからない。


わらじのひもが切れ、

素足で雪道を歩く時も。




それでも決して

旅をやめることなく、

一歩一歩、前へ進む。



こうしてやっとの思いで

見つけた宿の灯りを、

忠敬は、

「地獄じごくの中にも仏」

と言っていた。


忠敬にとって、

測量事業は地獄だった。


そうして、

やっと見つけた宿も

またすぐ後にして、

前へ前へと進んでいく。


そして15年目のある日、

これまでずっと、

忠敬を支えた一番弟子が

亡くなってしまう。


忠敬は、目の前で弟子が

死んでいくのを見て、

声が出なくなったという。


それでも測量を

あきらめることなく、

計画通りにすすめた。


そして忠敬自身も、

72歳でその生涯を終えた。


これは地図が完成する

三年前の出来事だった。


しかし、弟子たちは、

忠敬の死をかくし、


「どうしてもこの地図は、

伊能忠敬先生の名前で

残したい!!」


ということで、

必死に地図の編集を行い、

三年後に、ようやく

地図を出版し、




忠敬の死を公表した。


伊能忠敬の

このような行動が、

弟子たちに火をつけ、


自分が死んでも、

その思いを引き継ぐ

弟子たちが現れた。


この伊能図の完成から

40年後、アメリカの

ペリーが黒船に乗って

やってくる。



この時、ペリーは

この地図を手にしていた。


しかし、

ペリーは日本のことを

あなどっていて、

この地図も単なる風景画

と思っていた。そして、


自分が日本で

測量をしてやろう


と思って、測量をする。


すると、

自分が持っている

伊能図とピッタリ重なるびっくり



そこでペリーは、


これは正確な測量事業に

基づいた精密な地図だ!

日本が、こんなに高度な

技術を持っていたとは!


と、おどろいたと

言われている。


アジアやアフリカでは、

西洋人による

植民地化が進む中、





ペリーはその後も、数々の

日本の高度な文化・技術

にふれ、当時は、

単に武力で制圧しよう

と考えていたが、

いったん取り下げ、

世界の中の、

一国の貿易相手として、

開国を要求するよう

変更した。


伊能忠敬の地図は、

日本を守ったとも言える

のではないでしょうか?


伊能忠敬の生きざま

を見て、自分たちが

国を守ることを考え、

コツコツ何かを頑張る。


そんな気持ちになれば

嬉しいですピンクハート