前回の続きになります。


二宮尊徳は20歳で、

おじさんから独立。


独立後は、

一生懸命に頑張り、

自分の生家を建て直して

豊かにしていき、

村の中では

裕福になっていった。


ここで尊徳が残した言葉。


積小為大

  せきしょういだい


小さなことを

積み重ねていけば、

大きなことになりますよ


という言葉が、

尊徳の少年時代の教訓

となっています。



そんな尊徳は、

村でも有名な若者となり、


ある時、藩のお殿様に

「あそこに優秀な若者が

いるらしい」と、

目をつけられて、

尊徳に仕事を任せて

みようということになる。


そしてまず、

服部(はっとり)家という

武士の家の復興を

任された。


見事に五年計画の節約で

服部家の財務を立て直した尊徳。

余ったお金まで出して、

それを贈ったけれど、

自分はいっさい

報酬を受け取らなかった。


そして今度は

村の復興を任せてみよう

ということになった。





栃木県下野国芳賀郡の、

桜町が荒廃(こうはい)

しているということで、尊徳はその

復興にたずさわることとなる。



彼の生涯(しょうがい)は、

関東や東北を中心とした

元気のない村に行き、

それを復興させる。


今で言うと、

経営コンサルタント

というような仕事をしていた。


村の復興とは、

そう簡単なものではない。


今でも村おこしといって、

ゆるキャラ、産物を作ってみたり、

ご当地メニューを作ってみたり、

いろんなことで努力をする様子は

見かける。


頑張っても、

すごく時間がかかったり、

なかなかうまく行かないのが

現実かと思う。


しかも尊徳が

村に行った時代は、

天保の大飢饉

てんぽうのだいききん

という、

大きな飢饉があったガーン



当時の日本の人口で、

20~30万人が飢えて

亡くなってしまった

と言われる

とても苦しい状況。



そんな苦しい状況で、

尊徳は、なんと!!

615もの村を復興

させた!!


二宮尊徳はなぜ、

これだけの結果を

残すことができたのか?


二宮尊徳の人生の指針、

リーダーシップについて、

いろいろ学んでいきたい

と思います爆笑


尊徳には、

知識、知恵があっても、

村人たちはやる気がないタラー


尊徳が行った村は、

農村部であるけれど、

男たちは畑に出ず、

昼間から酒をのみ、

ギャンブルをして、

ケンカをしている。



そんなところに

外部からやってきた尊徳が、

「こうしたら良くなりますよ」

と言っても、

「うるせー!お前は

よそ者じゃないか!

黙っていろ!」

と言われ、


尊徳がやってくる前の

リーダーたちも、

同じように言われていた。



ところが尊徳は、

村人たちの心をかえ、

村を救い、

大成功をおさめましたニコニコ


そのストーリーは

また次回に♪