今日は、

徳川幕府が行った政策

見ていきます♪



あなたが家康だったら、

どちらを選びますか?


A 日本全国を
 幕府が治める。
 (中央集権)

B 幕府は、
幕府の支配地だけ
治める。そして、
他の領国(地方)の政治は、
その国の大名に任せる
(地方自治)

つまり、江戸の幕府だけが
政治の権力を持ったのか?

それとも、幕府はまとめ役で、
各地の大名さんたちに、
今の県知事のお仕事のように、
各地の政治をお任せしたのか?




答えは でした。


今で言うとのようなものを
江戸時代は、藩(はん)
呼んでいました。

家康は、各藩の政治を、
藩ごとの大名に任せて
ゆるやかな統治をしました。



ゆるやかとはいえ、家康は、
日本の平和を目指す幕府に、
他の大名たちが絶対に
さからえない仕組み
しっかり作りましたグー

まず一つ目の政策。

1 大名の格付けと配置

外様(とざま)大名といって、
裏切るかもしれない大名
は、遠くに置いて、
監視(かんし)をする。

親藩(しんぱん)譜代(ふだい)大名
という味方の大名は、
江戸の近くや
大事な所に配置する。

関東・東海・近畿は
味方でおさえて、
いざという時に
備えていましたグー

二つ目の政策、

2 改易・転封・減封

改易(かいえき)とは、
領地の没収(ぼっしゅう)すること。

転封(てんほう)とは、
国がえするとこ。

福島正則(ふくしままさのり)
という外様大名は、
広島城を何のことわりもなく、
修理をしたことで、
武家諸法度(ぶけしょはっと)
という決まりに違反。

改易、転封を受けました。
その結果…

安芸(あき)・備後(びんご)
約50万石を治めていましたが、
信濃(しなの)に転封、
約4万5000石にガーン


こうして、危険な大名は
つぶしました。

政策三つ目、

3 武家諸法度(ぶけしょはっと)

という、大名が幕府に
さからえないようにする
ルールを決めました。


① 参勤交代(さんきんこうたい)
江戸城を守るために、毎年4月、
軍勢を連れてくるようにする。
妻子は江戸に住む。

② 新しく城をつくるな
③ 私闘を禁じる
藩どうしの戦いはダメ!
④ 結婚は、幕府の
許可を得ること。
⑤ 大型船の建造は禁止
⑥ 幕府の法令に従え

大名が参勤交代をすると、
お金がかかります¥¥¥



そうするとこで、

戦費がなくなる
 下矢印
戦争がなくなる

妻子は人質となる
 下矢印
妻子が江戸にいるので
反乱は起こせない。





このような行列が通るので、
大きな整備された道が必要となり、
街道が整備される。

遠くから来る大名もいるので、
途中で泊まる宿が必要になる。
 下矢印
参勤交代の通り道には、
宿やお店などができる。
経済効果
江戸・大阪が発展

というように、参勤交代は
みんなが喜ぶ国づくり
につながりましたニコニコ

最後、4つ目の政策は、

4 お手伝い普請(ふしん)

普請というのは、
土木・建築工事のこと。

強い大名には、
公共工事をやってもらいました。

大きな川が三つもある、
木曽三川の治水工事を、
薩摩藩(さつまはん)が、
行いました。

いかにも水害が起こりそうですガーン

40万両(480億円)、
半分は借金。
死者88名。

みんなが安心して
暮らせるように、
ご先祖さまたちが、命がけで
整備をしてくれたんですね。

このように、各藩のお金を
みんなのためになること
につかうことで、戦争が
できないようにする。

一石二鳥ですねひらめき電球

幕府が全てを支配する
のではなく、
各地に藩を残すけれど、
その藩の支配者である
大名を厳しく支配する
という大原則のもとに、
平和が築かれました。

このような政策で、
江戸幕府は安定

それが平和につながり、

安定した暮らしの中で、
生産力が向上、
江戸時代の繁栄
につながりました。

国内の争いをおさめ、
平和と秩序をつくる
という、秀吉から家康に
受け継がれた大テーマは、
三代将軍家光のころに、
ほぼ完成しました!!

強大な権力
戦争を終わらせ
平和と安定した秩序
を生み出し、それは
「徳川の長い平和」
と呼ばれました。

徳川時代の日本は、
同じ時代の地球上で、
もっとも平和で
豊かな国となりました。


どうでしょうか?
普通の学校とは全くちがう
歴史授業ですよね♪

私はこっちの方が、
子供たちの心が育つと思います。

学校の先生は、ぜひ、
このような斎藤武夫先生の
歴史の授業のやり方を学び、
たくさんの子供たちの心を
育ててほしいですニコニコ

きっと授業する方も、
受ける方も、
楽しくなりそうですよね♪