今日は、江戸時代に行われていた

とされる身分制度について、


小名木善行先生の講義から

考えていきたいと思いますグー



学校で習うし、日本人なら
知らない人はいない、
士農工商(しのうこうしょう)
という言葉

これはいったい
どういうものだったのか?

最近の教科書では、
これは身分制度ではなく、
職業分類だと書いているものも
出てきたようです。

じっさいに、その通りで、
職業間には自由があった。

農民だったけど、武士になる人、
商人だった人が武士になる、
武士だったけど、商人になる人、
武士だけど、職人さんになるなど、

入れかわりは、オッケーだった!

のちの時代に登場する
坂本竜馬の家も、
商人だった家が武士になったし、

新選組(しんせんぐみ)という人たちも、
農民が侍(さむらい)となっている。

だから、
固定された身分制度の中で
支配と収奪(しゅうだつ)が
行われていたというのは、
まちがいで、すりこみです。

   ※画像は日本史辞典ドットコムからお借り

私が昔、学校で学んだイメージだと、

武士が農民から
うばっていたんだ、

農民は貧しくて、
年貢をはらうのが大変だったんだ、
というイメージでしたタラー

江戸時代の人口で見てみると


グラフの赤い部分が武士
青の部分が農民。

江戸時代、日本は
鎖国をしていた。
つまり自給自足の国

人間は食べ物の分しか
人口をたもてない。

日本の農民たちが
つくっている野菜や米で、
みんなが生きている。


4割が年貢として
おさめられていた、
と言いますがタラータラータラー

そうなると、
残りの6割しか
農民は食べられない

4割のお米は
武家が食べていました?!

何かおかしくない
ですか??

武家の人口7%、
それで4割の米?!

食べきれません(笑)

『武士の家計簿』
という映画を見ると、

当時の武士たちの、
貧しくて困っている様子
が、えがかれていて、
借金まみれだったガーン




しかも!


この言葉が生まれたのは
明治時代

この『士農工商』
という言葉は、もともと
中国の身分制度
そしていまだに、農民の生まれなら、
パスポートに農民と書かれる。
今でも身分制度が残っている
といいます。

ところが、日本には、
そんな制度はない。

士と農は、武士と農民で、
ちがいはあるけれど、




工と商は、同じ町人
大工のような職人さんや、




呉服屋さん、やおやさん
といったような商人さん。


職業は、それぞれちがうけれど、
みんな、町の中にいた町人。

これらをまとめて、
町人文化といい、
武家なら武家文化。

そういう違いでしかない。

商人の数も、武士より少なく、
武士と町人を合わせて
10%ぐらい。

このようなことを見ても、
いかに学校で教えられることが
おかしいか、わかります。

そして、
士農工商は、
身分の高い順番ではなく、
貧乏な順番だ
と小名木先生は言いますびっくり

これも世界の常識で見たら、
おどろきですびっくり

武器を持っていて、
強い人たちが、
一番、貧乏だった?!

一番身分が高い
大名、武士と言われる人は、
借金まみれだった?!

かつ、
お給料としてもらえる
お米しかないガーン

お米では食べて行けないから、
食べる物も、ろくになかったガーン




傘をつくったり、
バイトをしていた武士もいたとかびっくり


農民の人たちは、
お金はない。

でも、
お米も野菜も
自分たちでつくっているので、
食べ物はたくさんある。



職人さんは、
仕事一本で、ちゃんと
お金が入ってくる。


商人というのは
大金持ち。


こうしてお金で見てみると
士農工商はまるっきり逆、
貧乏な順番ですねびっくり

では、さらにその下だった、
穢多(えた)
非人(ひにん)
と言われる人は、どうだったのか?

この2つは全くちがうもので、
それについては次回にお話をしますニコニコ