発言に気をつける必要はない? | さらなる進化のみちへ

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先日、石橋愛子さん と話していて、
施術者としての視点を確認させられた。



彼女の罪悪感が取れたという話なんだけど、
17歳になる娘さんに対して、ずっと罪悪感を抱えていたらしい。


いろんなセッションやビジネスコンサルで

「本人は悩んでるんじゃない?」

「娘さんは淋しいと思う」とか

「居場所がなくて不安定なんじゃない」


とか言われるんだって。
そのたびに傷ついて、揺らいで、落ち込んで、泣いたこともあった。


で、最近もまた、同じように言われることがあったそう。



だけど、


「ああ、このヒトはまだ、親との関係性で我慢して
心に残っていることがあるのだな。
そのことが共鳴しているんだな」ってとても客観的にみれて、
全くなんとも思わない自分がいたんだって。



すごく、いいお話しだよね。
自分の中の罪悪感がなくなっていたわけ。



何か言われて心が揺れ動くのは、それに反応している証拠。
なにか引っかかるものがあるんですよね。
だからこそ、掻きむしられる。




それでね、
わたしも仕事柄、アドバイスをする立場の人間として、
「アドバイスする側も発言に気をつけなきゃね」
と言ったんだけど、



「いや~、あんまり気にしなくて大丈夫じゃない」と愛子さん



そぉ・・・・?
と言ったものの、スッキリこなかった。



で分かったの。




確かに発言に気をつける必要はない
(無礼にはならない必要はあるけどね)
今まで通り、言いたいことは言おう。
だって、何を感じるかは相手の問題でしょ。
それはそれで必要なこと。




発言そのものより、
発言の背景にあるもの。
発言した人の在り方の方が大事かな。


 



クライアントさんに真剣に向き合えばこそ、
厳しい言葉がでる時もある。





突き放されないけど、甘やかしたりしない。
でも助けて欲しい時に、助けてと言える安心感がある。
自分と向き合う勇気をもらった気がします。



こんなことを、アンケートに書いてくれた方がいます。
嬉しいですよね。
でも、やっぱり癒し系ではないね(笑)




で、わたしが思うのは
施術者としては一番先に癒されているべきであり、
マインドも感情もクリアになっている必要があると思う。





そうじゃないと、相手がそのままの姿で映らない。
固定観念や思いこみ、自分の心の傷や、制限に重ねて
共鳴して、投影して
相手をみるとき、必ず歪んでみえる。



それでも、相手は何らかの反応はするわけだが
セッションにおいては根本治癒を遅らせる。
ホメオパシーでいうと、観るべき大事なポイントをずらし、
間違ったレメディーを選びだすことになる。


 

だからこそ、
常に自分と向き合う必要がある。


ブレない自分軸を保ち
常にクリアで静かな湖面の水鏡のようにありたいと思う。