代替療法を学ぶと、マレに西洋医学を批判する講義に遭遇する。

(ロジャー・モリソンらの講義は決して西洋医学を批判しないが)

 

もちろん、私自身もこれまで綴ってきたように、現代医療によって悲しい思いをしたこともたくさんあるのだが、しかし、日本において、現代医療に「とって代わる」のが代替療法ではあり得ないというのが私の考えである。あくまでも「最良の代替案」であると思う。

 

これまでの人生を通じて、私は「代替案」があるからこそ、人の力が倍増していく場面をたくさん見てきた。人間関係でも

「ふられた」

と思って失意のどん底にいる人にとっては

「でも 彼だけが男じゃない」

と思えれば、それで楽になる事もあるだろう。

もちろん、そこで楽になるためには、代替案として目に写った男性が、それなりに魅力的でないと元気も出ないのも実際だが。

 

また、「これしかない」「こうしなければ助からない」とか

「これを買えばハッピーになります」

というような、相手の自由度を奪うものというのは、人を病ませていく。

健康とは「自由度」がどれだけ残されているか、なのだから。

 

教育にしても、「公教育こそが絶対だ」としていたのは、まさに戦争に突入していく前の日本の教育であったが、今は学区制が撤廃される地域も登場し、教育の自由度は戦時中に比べれば若干高まった。

 

でもまた、国の選挙にも見られるように、代替え案が多すぎると、結局大きな勢力に多くの票が流れて行くのも実際である。難しい。

また代替案側は「失敗が許されない」のも現実である。

そうしないと、

「やっぱり既成の権力の方がマシだった」

といって、振り子は既存団体に振り戻っていくので、代替案側はとにかく責任を持って”確実”に対応していかねばならない。

 

ナンシー・ヘリック(下記写真、ハーネマンカレッジ講義を担当)は、

「ホメオパスは一般医学の医師よりも ずっと厳しい目で監視されています」

と言っている。そして

「だからこそ、日々研鑽して下さい」

と、叱咤激励を飛ばしている。

 

代替療法は人々の希望をつなぐ療法である。

でも、その希望が「虚無」だったら、、、、恐らくそこで患者を襲う絶望は想像を絶するものとなるだろう。

希望のたすきを受け取れる代替え案を 真摯に追及していこう。