多事多端によりご無沙汰の当ブログ、お待ちいただいていた方がいらしたら申し訳ない。

懲りずにお付き合いいただけたら、とても嬉しくありがたくうさぎのぬいぐるみ

 

さて、本題。

摩理勢さんがいつからどんなご縁で聖徳太子こと豊聡耳皇子の側近になったのか、記録には残っていない。

 

というわけで摩理勢さんに「豊聡耳皇子ってどんなお顔?」とか聞いてみた。

最初に見せてもらったお姿はハイティーンの頃かな?な高校生くらいの男子がやや微笑みながら振り返るところだった。

文系イケメン男子!!

真っ先に浮かんだイメージは『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー飛び出すハート

最初にコミカライズされた道原かつみさんのヤンでもなく、最初にアニメ化された時のヤンでもなく、藤崎竜さんのコミカライズのヤンでもなく、最近再アニメ化された『銀河英雄伝説 Die Neue These』のヤン・ウェンリーだ!!と瞬間思ったのだ。

とにかく理知的で柔和なお顔立ち。

上矢印のヤンは20代後半から30歳くらいなので若干お兄さんだが…)

 

皇子の御父君・用明天皇が崩御された後、蘇我氏と物部氏の対立はいよいよ武力衝突へと発展した。(丁未の乱)

よく『崇仏派と廃仏派の戦い』とされるが、ホントはただの天皇の後継者を誰にするかを巡っての勢力争いが端緒となった戦いだと思う。

 

それで、蘇我氏はこの戦いに連合軍的にいろんな氏族及び皇族を巻き込んだ。

推古天皇の息子さんの竹田皇子も、それから豊聡耳皇子も参戦しているのである。摩理勢さんも当然参加しているので、その時にお目見得したのかも知れない。

その時の印象だろうか??

 

では本格的に豊聡耳皇子の側近となったのはいつなのか?

「50歳」

は??

「皇子はいたく意気消沈しておられるようだった」

は????

 

摩理勢さんが50歳の時というと…??

607年かなぁ。

推古天皇15年といえば小野妹子の遣隋使か!!

 

以下次号