お仕事が名字になるパターンは最近でも結構あるものだ。

Taylorさんは多分ご先祖さまが服屋さんだったのだろう。

 

日本でも古墳時代にお仕事を氏名(ウジナ)にしていた氏族がいた。

摩理勢さんの「境部」もお仕事を表している可能性があるぞ…と思って、摩理勢さんに聞いてみた。

 

そしたらいきなり、15cmくらいのかわいい定規が見えるじゃないか。

何??

どうも摩理勢さんは測量の技術者集団を率いる役割を担っていたと言いたいようだった。

さかいべさんは「境界祭祀を執り行う役目をもつ」とか「境界の確定に携わった」とか「外交担当」とかいろんな説があるのだが、境界確定のお仕事をしていたと見るべきか。彼が統括していた技能者たちは非常に算術に長けた者たちだった、なんて印象も聞こえてきた。

 

ついでに摩理勢さんに聞いてみた。

「使っていたのものさしは一尺がこれくらいの長い方? それともこれくらいの短い方?」

答えは長い方。

上代に使われていたものさしは2種類あって、平城京遷都があった頃に高麗尺(こまじゃく)→唐尺(とうじゃく)のチェンジが記録されている。

唐尺の1尺が約30cm、高麗尺の1尺は約36cmだそう。

要するに摩理勢さんにとって1尺は約36cmスケールの高麗尺ということだ。

 

奈良・斑鳩に現存する法隆寺が7世紀後半から8世紀にかけて再建されたもので、聖徳太子ご自身が創建した法隆寺は落雷により焼失してしまったのはご存知のとおり。再建法隆寺の設計が唐尺によるのに対し、実は発掘して判ったことだが創建法隆寺は高麗尺をものさしとしていたのだ。考古学すげー。

よしよし時代的には合致するな。

ん?

待てよ。確か聖徳太子って大工さんから信仰を集めていたんだよな…。

なにか関係があるかな?? これは次回以降への宿題にしよう。

 

閑話休題。

坂合部と書くさかいべさんの氏族も古代には存在していた。

ただ太田さんと大田さんの違いというか、境部さんは臣だけど坂合部さんは連(むらじ)だし、臣は有力外様大名的で連は旗本的な感じなので、要するに別系統の同業他社だということ。(ただ文字の印象として坂合部さんの方は境界祭祀の色が濃い気がするが、気のせいかもしれない)

 

まだ聞いたことの半分くらいしか書けていないのだ。

文章能力欠如に定評のあるペーターも努力しないとだなぁ…と遠い目。

そんな中、昨日摩理勢さんからいささかリマーカブルなことを聞いたので、ちょっと色々調べてからお送りしたい。

いよいよ聖徳太子ってか、豊聡耳王子(とよとみみのみこ)のご登場!!