クリスタル・リモート・ビューイングの数日後、ペーターはシータヒーリングの手法で境部摩理勢さんに話しかけてみた。

 

少し答えてくれた。

正直嬉しかった。

 

さて前にも書いたように、摩理勢さんは飛鳥時代の豪族・蘇我氏の一員である。

蘇我氏といえば聖徳太子や推古天皇の時代に大臣として活躍した蘇我馬子や、大化の改新(最近は乙巳の変と呼ぶらしい)の時に暗殺された蘇我入鹿が有名なのだが。

 

蘇我氏の系図を作ってみた。

エクセルで作ってワードに貼り付けて図として保存して…うーむ、結構大変ガーン

ちょっと線とかがたがたしていたり、名前を囲う四角が若干ずれていたりするのはご愛嬌という方向でスルー推奨だぞ。

 

ところで摩理勢さんは馬子の従兄弟説とか叔父説とか弟説があるのだが、ご本人に聞いてみたら「弟」とのことだった。だからそのように作ってみた。

 

摩理勢さんのお父上は稲目(いなめ)さん。

堅塩媛(きたしひめ)と馬子さんが同母の姉弟とのこと。

姉弟の母親は葛城氏という古くからの名家の出身者だそう。

これは学者の間でほとんど定説になっていることで、「そうなの?」と確認してみたら「YES」の返答をもらったもの。

葛城氏といえば仁徳天皇の皇后を出した一族なのだから、由緒正しいお家柄である。

 

小姉君(おあねぎみ)さん、石寸名(いしきな)さんも摩理勢さんの姉妹だが、摩理勢さんとも母親は違うみたい。

尚、余談だが堅塩媛さんも小姉君さんも欽明天皇(聖徳太子の祖父)と結婚し、石寸名さんは用明天皇(聖徳太子のお父さま)と結婚し、それぞれ王子を生んでいる。

 

では摩理勢さんの母親はどうかと聞いてみたところ、阿倍氏の出身だそうだ。

いきなり「阿倍」って浮かんできてびっくりしたwww

楽しかった子供の頃に見た風景は阿倍氏の本拠地(奈良県桜井市あたり)だったみたい。

阿倍氏は大化の改新後にも活躍する豪族だが、平安時代には陰陽道をもって朝廷に仕える家となり、高名な安倍晴明は彼らの子孫だ。「阿倍」がいつ「安倍」表記になったのかはわからないのだけれど口笛

ただ飛鳥時代でも有力豪族だったことに間違いはない。

 

この頃の権力者の跡取りの条件は以下の通りだ。

  • 父親が氏族の中で有力
  • 母親の父が有力者
  • その母親が生んだ最も年上の息子

話はそれるけど中大兄皇子の「大兄」というのが、天皇家内でまさに上の条件に当てはまる皇子のことを指しているんだ。大兄は皇太子という意味ではなく、あくまでもスーパーエリート王子さまという程度のことなんだよね。

だから同世代に大兄が複数名存在しても問題なくて、中大兄皇子の腹違いの兄弟にも古人大兄皇子(ふるひとのおおえのおうじ)ってのがいたわけだ。

てかこの時代いわゆる「皇太子」って制度はないのね。日本書紀に聖徳太子を推古天皇の皇太子にしたって記述があるけど、これは奈良時代に日本書紀を書いた人たちによる脚色なんだ。

 

余談だらけになって申し訳ない。

話を戻そう。

 

摩理勢さんは蘇我稲目の息子の中でも有力豪族出身の母を持つ、スーパーエリートクラスのお坊ちゃまだったということになる。即ち異母兄の馬子に万が一の事があった時には、兄弟相続で摩理勢さんが蘇我氏を継ぐことだってあったかもしれない、跡取り候補の一人だったんだ。

摩理勢さんが子供の頃はまだ古墳時代後期って感じで。

相続は天皇家も含め兄弟相続が主流だったみたいだ。

 

摩理勢さんの思い出の中に少年時代の馬子さんも出てきていたので、その話はまた次回に。