◆サケの犠牲の愛から悟ること
今回はサケが生まれた川に戻ってくる母川回帰と産卵という感動的な話を書こう。
母川回帰とはどういうことか。日本大百科全書の解説を見てみると、
川で生まれた魚が海に下り、一定期間を経て同じ河川系に戻る習性をいう。遡上(そじょう)する川を母川(母支流)といい、サケ・マス類の母川回帰がもっとも有名である。この現象は、経験的に古くから知られていたが、1653年にI・ウォルトンが、リボン標識をつけて放流したタイセイヨウサケの幼魚が数年後に同じところに産卵のために帰ってきたことを科学的に証明したのが最初である。その後、1930年代にアメリカの生物学者のリッチWillis Horton Rich(1885―1972)らによってベニザケやマスノスケで立証された。母川は自然状態では生まれ育った川であるが、幼期にほかの川に移殖するとその川が母川となる。サケは、海洋で生活して川へ戻ったもののうち、平均的に90%以上が母川へ帰り、母川以外の川へ帰ったものも、その多くは母川の近くの川へ遡上する。
サケにとって遡上は命がけだ。外洋とは違い、浅いところ、岩などを乗り越えていかなければならないので、皮や鱗があちこち剥げて、もうボロボロの状態。そんな中で雄雌のペアは最後の力を振り絞るかのように、産卵する。しかし、産卵が終わると、力尽きて死んでいく。浅い川に多数のサケが死んで横たわっている姿は本当に痛々しい。
ユーチューブの動画が参考になる。
https://www.youtube.com/watch?v=XEGjT9Nb_OQ
https://www.youtube.com/watch?v=vGI2bpZbGjM
https://www.youtube.com/watch?v=5g51pShSrhc
産卵後、また川をくだってペアで仲良く生きていけばいいのに、と思うが、産卵後は皆、死んでいく。なぜ?なんのために?
まず思いつくのが、親サケの死体が微生物などの栄養となって最終的に稚魚の栄養となる、ということ。しかし、鳥が親サケの死体をついばんでいるのを見て、悟ったのは、子供を守るためなんだと。自分が盾になって、自分が鳥などの外敵に食われて子供たちができるかぎり狙われないようにするためだったのだ。
サケは本能的に子供への愛を実践している。生きているときに命がけで子供たちを生み出し、死んでからも彼らを守ろうとする。彼らは肉体は失ったが、彼らの愛は子供たちの中で息づいている。なんと美しい愛だろうか。
このようなサケのペアがもつ愛は、進化して生まれたわけでも、サケ自体が生み出せるわけでもない。サケの犠牲的な愛は、神に起源があり、神の愛が現れているのである。犠牲的な愛は、神の親の愛を一部表現したものであり、それはまさに子たる人間、私達一人ひとりに降り注がれているのである。
神は138億年という想像すらできない時間をかけた投入によって人間を恋い慕いながら、宇宙、地球、海、山などを段階的につくった。人間が生まれた後、生きるのによい環境であるばかりでなく、感動の環境になるように願い、すべてを投入して。
海の中に最初の生命(細菌)を創造。40億年の段階的な創造を経て人間をついに生み出された。最初の人間が赤ちゃんとして生まれた瞬間を神はどれほどの歓喜の思いで迎えただろうか。
しかし、堕落によって人間は神を離れた。堕落によって神が奈落の底に突き落とされた悲痛な心情がどれほどであったのかは計り知れないが、神は「我が子として再び迎え、共に生きることができる日」を願い、イエス様の十字架をはじめいくたの犠牲を払いながら、愛を注ぎ続けてくださっている。産卵のサケに姿に象徴されるように、神は疲弊し、ボロボロになりながら。
しかし、神がそのように愛を注いでくださっていても、傲慢であったり、違う方向を向いていてはそのような神の愛を決して見つけることはできない。私達にとって人生の最優先課題は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」神の愛を探すことであろう。
「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」(ヨハネ第一4:8)
神は愛の存在だから、愛さない者には神はわからない。自分を主張し、愛を全部そぎ落とした進化論のような価値観に埋没している限り、神はわからない。
進化論を捨て、神を愛し、人を愛すること、それが真の幸福と真の世界平和への第1歩である。
