『ダーウィンと家族の絆』の翻訳者の一人、渡辺政隆氏も訳者解説でこう書いている。

 

「アニーの突然の発病とけなげな闘病生活、そして悲しい別れは、ダーウィンの世界観を決定的に変えた可能性がある。最愛の無垢な魂が無慈悲にも奪い去られた瞬間は、神の慈悲など存在しないことを確信した瞬間でもあった。そしてそれは、来生での再会を確信する信仰心厚いエマとの宗教心をめぐる溝を、よりいっそう深くした」

 

 

ダーウィンが探検したガラパゴス諸島

 

  ダーウィンの心境は、短い言葉で表現するとすれば、神に対する絶望と怒り。でなければ、「悪魔に仕える牧師」という表現は使わなかっただろう。 

 

絶望と怒りの感情の中で、こんな風に考えたのではないか――アニーの死は神様とは関係ない。ただ、環境に適応できず、娘は淘汰されたのだ。それがおそろしいくらい残酷な自然の法則なのだ。

 

このようにして、ダーウィンの進化論が生まれたのは、説得力ある多数の証拠からではなかった。ダーウィンが唯物論的な思想の影響を受ける中で、アニーの死をきっかけに、反神、反キリスト教という世界観、人生観に完全に陥った中で、生まれてきたのである。

 

ダーウィンの最初の着目点は、すべての生物が個別に創造され不変であるとする、当時主流だった創造論が地質学、化石の証拠とは合わない、ということだった。そこに注目するまではよかったが、「段階的創造」の可能性を一切検討しなかった。

 

なぜか。ダーウィンの世界観では、「神の介入はない」ということが前提になっていたからだ。したがって、ダーウィン進化論はすべての可能性を証拠に基づいて検討する科学ではなく、科学を偽装した唯物思想だったのである。

 

ダーウィンの説が事実なら一つの種から別の種に至る間に「中間型」あるいは「移行型」の生物がいたはずだが、その化石は見つかっていない。眼という複雑な器官は、明らかに一つの方向性に向けて組み合わされており、神のデザインと見るほうがはるかに説得力があった。

 

そうした中で、ダーウィンが依存したのが、生物の胚発生過程に関するものだった。しかし、あろうことか、『種の起源』の中で事実を歪曲していたのである。ここに、ダーウィンがいかに結論先にありきで、いかに証拠を軽視していたかということがよく現れている。

 

ID派の科学者がどんなに強力な証拠に基づいて批判しても進化論者が「それがどうした」という姿勢なのは、ダーウィンに由来している。

 


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