再び、「神と人類に対する大罪」のシリーズに戻ろう。

 

ダーウィンから四代目のランドル・ケインズ氏が書いた『ダーウィンと家族の絆―長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』によると、

 

 ダーウィンは、啓蒙主義思想家ジャン・ジャック・ルソーの思想で教育を受けている。ルソーは、理性を重んじ、社会的な不自由や不平等に反対する啓蒙主義思想を展開し、フランス革命に影響を与えた人物だ。

 

そう要約してしまえば、「英雄的人物」のように聞こえるが、ルソーの宗教観は、理神論だった。

 

理神論とは何か。

 

デジタル大辞泉の解説によると、

りしんろん【理神論】

神を世界・天地の創造者とはするが、世界を支配する人格的超越存在とは認めず、従って奇跡預言啓示などを否定する立場。いったん創造された以上、世界はみずからの法則に従ってその働きを続けるとする。17世紀から18世紀の英国の自由思想家たちに支持され、フランスやドイツの啓蒙主義に強い影響を与えた。

 

 理神論の思想家は、旧約聖書のモーセによる出エジプト、新約聖書福音書のイエス様の奇跡、使徒行伝のペンテコステ(五旬節)などを含む聖書全体に出てくる奇跡、預言、啓示すべて否定的に見ていることになる。

 

 

『ダーウィンと家族の絆』は「チャールズの祖父エラズマスは『エミール』で説かれているジャン・ジャック・ルソーの革新的な考え方に関心を抱き、デイヴィッド・ヒュームの計らいで一七六六年に敵対者たちから逃れてイングランドに渡ってきたルソーを探し当てたほどである」と記している。

 

ダーウィンは、上の引用に出てきたスコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームの影響も強く受けていた。ヒュームは「経験」を重視する、ジョン・ロック以降の英国経験論を代表する哲学者だ。

 

1831年から5年間、ビーグル号で南米を航海して帰国してからは、ヒュームの著書にも没頭。「神という概念は人間の心的特徴の形成物であるというヒュームの考え方に同調し」ていたという。

 

そして、『ダーウィンと家族の絆』によると、1838年、ダーウィンはマルサスの『人口論』を読んで『自然淘汰』という考えが閃く。

 

『人口論』とはどういう内容か。

 

――デジタル大辞泉によると、

人口は幾何級数的に増加するが食糧は算術級数的にしか増加しないから貧困と悪徳が発生し、この両者が人口増加の抑制要因としてはたらくと説き、第2版では人口対策として道徳的抑制を推奨した。

 

「生きるための手段をめぐる動物たちの終わりなき生存競争が絶えず淘汰圧を課しており、集団中には個体変異が存在し、それは遺伝するという事実と相まって、環境の変化に伴って新しい種が生み出される可能性に思い至ったのだ」(『ダーウィンと家族の絆』)

 

実はマルサスもルソーやヒュームの影響を受けている人物だ。

 

ウィキペデヴィアによると、

 

父は弁護士で植物学者のダニエル・マルサスで、啓蒙主義者である。彼はジャン=ジャック・ルソーデイヴィッド・ヒュームと親交があり、マルサスの生年1766年に自宅にルソーとヒュームを招待している。

 

この父からマルサスはきめ細かな教育を受けたという。

 

こうして見てくると、理性と経験だけをもって物事を考える、かなり唯物論的な価値観の中で、ダーウィンは「自然選択説」を着想したことが分かる。

 

ダーウィンも学んだケンブリッジ大学

 

「群盲象を評す」の例えで言えば、盲人Aが動かない象に触って、「ざらざらしている」と答え、盲人Bが今度は「しわがあり、上まで伸びている感じだ」と答えた。二人の答えを聞いて象を触った盲人C(ダーウィン)が「これは相当樹齢の古い巨木に違いない」と判断したようなものだ。

ダーウィンは、神が段階的に介入した「段階的創造」(ID理論の結論)のシナリオを検討した形跡は全く見られないのである。

 

マルサスの『人口論』による閃きを経て、ダーウィンは1844年に、進化に関する試論をまとめている。

 

1849年前後には、ダーウィンはキリスト教信仰を捨てている。「キリスト教の主張」を検討したところ、「それらが証拠によって支持されていない」ことがわかったからだと、素っ気なく答えたという。キリスト教信仰の放棄に関して「まったく苦痛を伴わない」と述べている。

 

理性と経験だけで神と信仰の世界を判断し、その当時のキリスト教の教えの一部に疑問があるとしても、あるいは分からないことがあったとしても謙遜に神に求め続けるのではなく、すべてを切り捨ててしまったのである。

 

『種の起源』を発表すれば、キリスト教界から猛反発が予想されるために、想定される批判にいかに答えるか、それにダーウィンは時間を費やしていく。しかし、試案の着想からかなり時間をかけた要因はそれだけではなく、敬虔な信仰をもつ妻エマとの関係を心配する気持ちだった。次回はその辺りから話を始めたい。

 


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