今日、以前買っていた小説「永遠の0」を読み終えました。




あらじとしては、おおまかに言うと、戦争中の海軍パイロットと、それを取り巻く環境、周りの人たちにまつわる話だ。


戦争の話は学生の頃、授業で何度も学ぶことはあったが、改めて大人になって考えてみると、約60年前にはこんなことが起こっていたと考えただけで、本当に恐ろしくなる。


今日、中国では「戦争論」やら何やらを唱えている人達もいるが、歴史は繰り返されるのか。


誰もがそれだけは駄目だとわかっていても、現状の世界を見ると、危ない橋を渡ろうとしているのではないかと思えるのは自分だけだろうか。


本当に学ぶべきことは、過去にある。


そう思える小説でした。




愛する人のために、国のために戦わなくてはならない。


そして、苦肉の策の「特攻命令」。


国のために死ね。


そう言われているようなものだ。


故郷には愛する家族、そして妻、子供が待っている。


だが国のために尽くさねばならない。


尽くせばもう愛する人には会えない。


逆らえば命はない。




以前、鹿児島にある「特攻平和会館」に行ったことがある。


そこには実際に使われた戦闘機や、遺品が展示されており、中には実際に特攻隊として飛び立っていた人達の遺書もあった。




正直、背筋が凍りつく感覚にも見舞われたし、本当に心が痛くなった。


遺書のほとんどの内容が晴々しい内容で、お国のために潔く戦っていきますという内容であった。


そして、家族や妻への感謝の文字もあった。


だれ一人として後ろめたい内容は書いていないのだ。


これは、残された人たちへの最後の心遣いなのか。




果たしてこの中のどれだけの人が本望で特攻隊として飛び立ったのか。


国のためと言えど、確実に死ぬとわかっている戦いを本当に望んだ人はどれだけいるのか。


本の中には、ほとんどの人が自分で志願し、飛び立つときには晴れやかな顔つきだったとある。



だが心のなかでは、自分達には想像できない葛藤と悩みがあったはずだ。


昨日まで当たり前のように話をしていた親友が、今日には特攻隊として飛び立ち死んでいく。


それが毎日のように続き、いつ自分の番が来るのかわからない。


選ばれれば確実に死ぬ。


家族にはもう会えない。


そして愛する人にも。




そんな中、周りに心配させまいと、弱音を見せずに生きてきた軍人の精神の強さと誇り。


考えただけで苦しくなる。




当時を経験したことがないからわからないが、この時代を生きた人たちというのは本当に強いなと感じた。


愛する人の為なら、自分の犠牲すらも惜しまない。


本当に強いと思う。


今の自分にはそんなことが出来るだろうか。




そして今の世の中には、それをできる人がどれだけいるのだろうか。


少なくとも自分には簡単には出来ないだろう。




簡単に命を張れってことではない。


ただ、この時代の軍人であった方たちの経験と誇りは、今も、これから先も語り継いでいかなければならないと感じた。




まだまだ思うことはたくさんあるが、うまくまとめられそうもないのでここら辺にしておきます。




今日会社の先輩に聞いてはじめて知った自分が恥ずかしいが、自分の実家の隣の市「宇佐市」には当時、特攻部隊(桜花部隊)があったそうだ。


その際に使われた、戦闘機の誘導路や滑走路は当時のまま現在も残っている。


誘導路は春には満開の桜が咲くそうだ。




桜の花が色付くころ、一度足を運ぼうと思います。




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