私たちは言葉を得ることで何を得ているのか?
言葉は私たちの認知にどのような影響を与えてるのか?
この問いに認知科学の視点から答えてくれるのが、こちらの一冊です。
「ことばと思考」
著者は認知科学者で慶應義塾大学教授の今井むつみ先生です。
私たちは毎日自由に思考し、発話して生きていると考えがちですが、実はそうではありません。
私たちは母国語の檻の中で思考し、発話しているに過ぎません。
私淑する内田樹先生はそのことを著書の中でこのように述べています。
“「私が語る」とき、そのことばは国語の規則に縛られ、語彙に規定されるばかりか、
そもそも「語られている内容」さえその大半は他人からのことば、ということになると、
「私が語る」という言い方さえ気恥ずかしくなってきます。
私が語っているとき、そこで語られることの「起源」はほとんどが「私の外部」にあるのですから。”
言語とは「私の外部」です。
何故なら「私」がこの世に生を受けた時、それは既にそこにあったからです。
そしてこの「私」という存在は決して融通無碍に思考している訳ではなく、
「私の外部」に存在する言語のルールの中で思考していて、
その外側に出られない存在だと言うことです。
私たちは皆言葉の檻の中に閉じ込められている、
例えそうであったとしても、その中でより大きな自由度を獲得する方法があります。
その方法とは言葉を得ることです。
今井先生の著書の中で面白い実験が紹介されています。
三色の大きなカラーボックスが上から緑、黄、青の順で重ねられていて、
その隣に同じく三色の小さなカラーボックスが上から黄、赤、白の順で積み重ねられている、
そんな状況を思い浮かべてみてください。
大きなカラーボックスはお母さん用、小さなカラーボックスは子ども用です。
事前に子どものカラーボックスの中段、つまり赤のカラーボックスにシールを一枚入れておきます。
お母さんが自分用の真ん中の黄色いカラーボックスに封筒を入れるのを見せながら、
子どもに向かって「○○ちゃんのにも同じところにシールが入っているよ探してごらん。」と伝えます。
ここで「同じ」という言葉にあえて曖昧性を持たせていることがポイントです。
「同じ」には二種類の解し方があります。一つは「色の同じ」、もう一つは「位置関係の同じ」。
三、四歳の幼児の場合は、ほとんど上段の黄色いカラーボックスを探します。
つまりまだ言葉が未発達な幼児にとって「同じ」とは、
視覚によって認識出来る「色」という属性の同じを意味するのです。
しかし同じ年齢の子どもたちに、「上」「下」「真ん中」などの言葉を教えて同じ実験を行うと、
間違えることなく色は異なるが位置関係が同じである真ん中のカラーボックスを探すようになるのです。
つまり「上」「下」「真ん中」という言葉を得ることで子どもたちは「位置関係の同じ」を認識出来るようになったということです。
この実験を今井先生は以下のように結論づけています。
“人間の子どもにとっても、関係の認識は難しいが、関係を表すことばを持ち、それを学習することで、
人間はモノの類似性、同一性のみではなく、関係の類似性、同一性に基づいて世界を分類することが可能になるのである。
(中略)
言語とは、人間以外の動物に出来ない抽象的な思考を人間の子どもがすることを可能にする、といってもよい。”
「上」「下」「真ん中」という言葉は幼児に「位置関係」という概念を与えます。
この概念を得ることで視覚などの五感では捉えられない「関係の同一性」の認識が可能になり、
その認識に基づいて過たずシールの位置を判別することができるようになったのです。
このように言葉を得ることで、私たちは概念を得、
その概念を操作することで、より複雑な思考ができる様になるのです。
先述の通り、私たちは言葉の檻の中に閉じ込められ生きています。
その言葉の檻から完全に自由になることは出来ないにしても、
ご紹介した実験のように、私たちは言葉を得ることで概念を獲得し、
より広く、深く世界を認識することが出来るようになるのです。
つまり言葉を得ることによって私たちを閉じ込めている檻を拡張し、
今より自由に複雑にものごとを認識し思考できるようになる、ということです。
言葉を得ることで私たちは何を得ているのか?
冒頭の問いの答えは「自由」です。
それは認識の自由であり、発話の自由であり、思考の自由です。
言葉の檻から抜け出せずとも、その中でより大きな自由度を獲得するために、
私たちは沢山の言葉に触れ、自身の中に言葉を蓄えていく必要があるのです。
言葉を得る一番手短な方法は、読書です。
認識の、発話の、思考の自由を手に入れるために、ぜひお子さんにたくさんの本を読ませてください。