「私はその四字から新たに出立したのであります」 ~言葉と共に越境する~ | 不登校に悩む親御さんへ 家庭教師の大丈夫!@新潟のブログです。

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前回の記事では、学びとは、今の自分を一度壊し、別の価値観へと越境することであり、

今の価値観から別の価値観へと架橋してくれるのは言語である、

という話を哲学者の千葉雅也先生のご著書から紹介しました。

またこのような学びの自己破壊性ゆえに、人は学ぶことを忌避し、自ら進んで無知であろうとする、

つまり無知は怠惰の結果ではなく、知ろうとしないたゆまぬ努力の成果である、

という内田樹先生のお話もご紹介しました。

言語操作によって今自分が依って立つ価値観を揺らがせ、別の価値観へと越境する、

私はこの話を聞いたときに、夏目漱石のある講演を想い出しました。

大正3年11月25日に学習院で行われた、「私の個人主義」という講演です。


夏目漱石は帝国大学(後の東大)で英文学を修めた後、東京、愛媛、熊本にて中学、高校の英語教師を務めます。

そして熊本での在職中に、文部省より英語研究のためイギリスへの留学を命じられ、二年間をロンドンで過ごすこととなります。

自身の研究分野で洋の東西を融合させた新しい文明を築き、その実績を通じて日本の国威を世界に発揚する、

明治時代の多くの知識人はそのような大望を抱き、日々研鑽を重ねていたのですが、それは漱石も同じでした。

英文学の分野で本場英国の研究者を凌ぐ研究成果を出す、

そんな野望とともにロンドンに向かった漱石ですが、すぐにそれは無理筋であるという事実に直面します。

江藤淳の夏目漱石に関する論考集「決定版夏目漱石」から引用します。

“文学は言葉の芸術ですから、英文学を研究して、英語国民の研究家と対等に渡り合うためには、

英語国民の研究家に劣らぬ頭脳を持っているだけでは足りない。

語感-言葉にたいする感覚がなければならない。

そしてこの語感はその国語の中で育った人間でなければ究極的には身に付きにくいのです。”

言語は単なる意思疎通の道具ではなく、一つの世界観を表現するものですが、

その言語の世界観を当該言語を母国語としない人間が理解することには大きな困難が伴います。

漱石がぶつかったのはその困難でした。

異郷の地で大きな挫折に見舞われた漱石は、極度の神経衰弱に陥ってしまいます。

漱石を派遣した文部省内部にも「夏目狂せり」の報が流れました。


苦悩の日々を過ごす中で、やがて漱石の中にある考えが芽生えてきます。

夏目漱石講演集「私の個人主義」より学習院での講演の一部を引用します。

“この時私ははじめて文学とはどんなものであるか、

その概念を根本的に自力でつくりあげるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。

今までは全く他人本位で、根の無い浮き草のように、

そこいらをでたらめに漂っていたから駄目であったという事にようやく気が付いたのです。

(中略)

たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとかいっても、

それはその西洋人の見る所で、私の参考にならん事はないにしても、

私にそう思えなければ、到底受け売りをするべきはずのものではないのです。

私が独立した一個の日本人であって、決して英国人の奴婢ではない以上は、

これくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、

世界に共通の正直という徳義を重んずる点から見ても、

私は私の意見を曲げてはならないのです。”


自分が今まで全くの他人本位であったことに気が付いた漱石は、

苦悩の末に、その対極である自己本位という言葉を手にします。

再度「私の個人主義」より引用します。

“私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。

彼ら何者ぞやと気概が出ました。

今まで茫然と自失していた私に、

ここに立って、この道から行かなければならないと指図をしてくれたものは、

実にこの自己本位の四字なのであります。

自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。”


「自己○○」という表現は英語の再帰代名詞~selfの訳語として明治20年代半ばから使われるようになったものです。

つまり夏目漱石は苦悩の中、独力でこの「自己本位」という言葉を手に入れ、

その言葉を頼りに、今まで自分が依って立っていた浮き草のように不安定な西洋本位の世界観から、

自分がどのように感じるかを立脚点にした自己本位という世界観に越境を果たした、ということです。


この夏目漱石のエピソードは、前回記事で紹介した千葉雅也先生のアイディア、

学ぶとは、言葉を操作することによって、今いるノリから別のノリへと引っ越すこと、

を表す好個の例と思い、ご紹介しました。

前回の記事では、抽象的な話に終始してしまったため、このエピソードによって、

自己破壊的要素を伴う学びの具体的イメージを共有できたと思います。


学ぶとは言語操作を介して、今ある価値観を相対化し別の価値観へと越境すること。

このような深い学びは、決して夏目漱石のような高明な文学者だけに必要なものではありません。

私たち一人一人が生きる上でも、自分を一度壊すような深い学びが必要な場面があります。

長くなりましたので次回に続きます。