しばらく前に読んだのですが、難解で自分の中でうまく咀嚼し切れずにいた一冊をご紹介します。
「他を利する」ことに関して、私たちはそれを手放しに良きことと考えがちですが、
本書の中にもあるように利他には、「相手に負債感を植え付け、支配することに繋がる」という負の側面もあります。
利他というのは、それが何であるかが不明なまま取り扱うと、思いがけず誰かとの関係性が壊れてしまいかねない概念なのです。
この「利他」という取り扱うに難しい曖昧模糊とした概念に、5人の研究者がそれぞれの切り口から迫り、
その輪郭をより明確にすることを目指したのが、こちらの一冊です。
「利他」とは何か
伊藤亜紗、中島岳志、若松英輔、國分功一郎、磯崎憲一郎 著
5人の著者の主張の中で、今回は伊藤亜紗さんの主張に絞ってご紹介させて頂きます。
伊藤さんは、利他とは「うつわ」になることではないか、と主張します。
「誰かのために」というと、私などはすぐにその人に対して何かを為すことを考えてしまいがちですが、
そういう文脈の利他は、中島岳志さんの言葉を借りれば、往々にして「利己的利他」になりがちです。
「利己的利他」とは、自分の考えを相手に押し付けて、相手を自分が考える「正義」を実現するための道具として利用するような振る舞いのことです。
それは利他的振る舞いで表面をコーティングしてはいますが、内実は自己満足、自己陶酔でしかありません。
利他とはそのように自分の思いを相手に投げかける能動的なものではなく、「もっとずっと受け身なこと」なのかもしれない、と伊藤さんは主張します。
そしてこうも記しています。
「利他とは器のようなものではないか」
〜以下引用〜
相手のために何かをしている時であっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。
(中略)
この何もない余白が利他であるとするならば、それはまさに様々な料理や品物をうけとめ、その可能性を引き出すうつわのようです。
(中略)
つくり手の思いが過剰にあらわれているうつわほど、まずいものはありません。
特定の目的や必要があらかじめ決められているケアが「押し付けの利他」でしかないように、
条件にあったものしか「享け」ないものは、うつわではない。
「いる」が肯定されるためには、その条件から外れるものを否定しない、意味から自由な余白が、スペースが必要です。
〜引用終わり〜
利他とは相手に対して何か特別なことを為すことをいうのではなく、
例えば、相手の話に耳を傾けること、相手のために自分の時間を割くこと、相手が安らげる場を用意すること。
明確な目的を持って自己満足的に何かを為すのではなく、
もっと弱目的的に相手のために自分の中に余白を作ること、うつわとしてそこに在ること。
それが利他なのではないか、伊藤さんは主張します。
そうであるならば、利他とは気負って特別な何かを為すことではなく、
相手のうつわとなれるように、自分の心を穏やかな状態に保つ、くらいのことなのかも知れません。
思いが勝れば勝るほど、それは利己的利他に陥る可能性を高めてしまう。
そうではなく、利他とは相手のために自分の中に余白を作り、うつわとしてそこに存在することなのではないか。
「利他」という漠然とした概念をより明確化するのに役立つ5通りの試論が展開されている一冊、
ぜひ手に取ってみてください。