夏休みに入り、学校から読書感想文の課題を出されている子もたくさんいますが、
子どもたちの話を聞いていると、本を読むことに忌避感を抱いている子が多いように私は感じます。
子どもに学習指導をしていて私が痛切に感じるのは、全体的に読む力、書く力が低下していることです。
国語の記述問題を解かせると、文章中に書いている内容をそのまま書き写し、繋ぎ合わせ、
どうにかこうにか文章らしきものを書いている子がたくさんいます。
でもその答えをよく読んでみると、接続詞がおかしかったり、主語と述語が一致していなかったり、
理由を聞かれているのに、語尾が「~だから。」になっていなかったり、
文章として通じない答えになっている場合が非常に多いです。
どうして読み書き能力が低下しているのか?
私は、言葉に触れる機会が少ないからだと考えています。
言葉の使い方は、実際にその言葉に触れる事でしか、学び取ることが出来ません。
日本語では、こういう場合こういう言い回しをするのだ、このような場合にはこの言葉を使うのだ、
そういう風に言語に触れる経験を通じて、自分の中に母国語の語彙やストックフレーズが豊かになり、
筆者の文章を別の表現で言い換えたり、繋ぎ合わせたり出来るようになっていくのです。
言語を適切に運用できるか否かの影響は、学校の成績に限った話ではなく、生活全般に広がっています。
例えば、大人になり働くようになった時、職場で何か困難を抱えたとします。
その時に、自分がどんな困難を抱え、どのような支援を必要としているのかを人に説明できれば、
周囲から適切な助言を受けることが出来るでしょうし、
その助言を読解する能力があれば、問題の解決に至る可能性が飛躍的に向上します。
このように読み書きを含む言語能力は、人の生活全般に大きな影響を与えます。
もう少し抽象的な話をさせて頂きます。
言葉を得ることで、人間は世界を解像度高く捉えることが出来るようになります。
例えば、「四角形」という言葉しか持たない人間は、
角が四つある図形をすべて同じ図形としてしか認識できませんが、
「台形」「ひし形」「正方形」「平行四辺形」という四角形の種類を表す言葉を知っている人間は、
それらの違いを認識し、言葉を持たない人間より、より正確に世界を捉え、表現することが出来るようになります。
つまり、言葉を得ることで、世界をより細かく精緻に把握することができるようになるわけです。
また言葉は目に見えるものの認識を変えるだけではなく、目に見えないものを認識する助けにもなります。
目に見えず、触ることが出来ないけれど、この世界を形作っているものがあります。
それは「概念」です。
概念とは、例えば「平和」「悪」「市場(しじょう)」「哺乳類」「情報」などのように、
具体的な形や色や手触りを伴わず、人間の観念の中にだけ存在する、意味内容のことです。
人間社会のルールは、法という概念で出来ていますし、天体の運行を司るものは万有引力という目に見えない力であり、これもまた概念です。
つまり世界は概念によって形作られている、という言い方もできるわけです。
これら概念は、目で見て触れて確認することが出来ない以上、別の方法で認識する必要があります。
その方法が言葉です。
小学校の算数で初めて出てくる抽象概念が「割合」です。
それまでは、例えば、リンゴ7個が入った箱が3箱あるときリンゴは全部でいくつあるでしょうか?などの、
視覚や触覚を通してその存在を確認出来る数を取り扱っていたものが、
ある数に対するある数の比、という人間の脳内にのみ存在する数を扱うようになります。
視覚、触覚で捉え切れない割合という数的概念の理解に多くの子どもは躓くのですが、
それを難なく理解できる子どもも一定数います。
私の知る限りですが、そういう子は読書が好きな場合が多いです。
つまり彼らは、読書を通じて豊かな語彙を持っているから、
言葉を通じて認識するしかない割合という抽象概念を容易に理解することができる。
私はそのように考えています。
このように人は言葉を豊かにすることで、世界を形作る概念を認識することができるようになるのです。
言葉に触れることで得られるもの。
他者と意思疎通する能力、高解像度で世界を認識する視点、抽象概念を認識する能力。
まだ他にもあるのかもしれませんが、思いつく限りを綴ってみました。
子どもたちの話を聞いていると、本を読むことに忌避感を抱いている子が多いように私は感じます。
子どもに学習指導をしていて私が痛切に感じるのは、全体的に読む力、書く力が低下していることです。
国語の記述問題を解かせると、文章中に書いている内容をそのまま書き写し、繋ぎ合わせ、
どうにかこうにか文章らしきものを書いている子がたくさんいます。
でもその答えをよく読んでみると、接続詞がおかしかったり、主語と述語が一致していなかったり、
理由を聞かれているのに、語尾が「~だから。」になっていなかったり、
文章として通じない答えになっている場合が非常に多いです。
どうして読み書き能力が低下しているのか?
私は、言葉に触れる機会が少ないからだと考えています。
言葉の使い方は、実際にその言葉に触れる事でしか、学び取ることが出来ません。
日本語では、こういう場合こういう言い回しをするのだ、このような場合にはこの言葉を使うのだ、
そういう風に言語に触れる経験を通じて、自分の中に母国語の語彙やストックフレーズが豊かになり、
筆者の文章を別の表現で言い換えたり、繋ぎ合わせたり出来るようになっていくのです。
言語を適切に運用できるか否かの影響は、学校の成績に限った話ではなく、生活全般に広がっています。
例えば、大人になり働くようになった時、職場で何か困難を抱えたとします。
その時に、自分がどんな困難を抱え、どのような支援を必要としているのかを人に説明できれば、
周囲から適切な助言を受けることが出来るでしょうし、
その助言を読解する能力があれば、問題の解決に至る可能性が飛躍的に向上します。
このように読み書きを含む言語能力は、人の生活全般に大きな影響を与えます。
もう少し抽象的な話をさせて頂きます。
言葉を得ることで、人間は世界を解像度高く捉えることが出来るようになります。
例えば、「四角形」という言葉しか持たない人間は、
角が四つある図形をすべて同じ図形としてしか認識できませんが、
「台形」「ひし形」「正方形」「平行四辺形」という四角形の種類を表す言葉を知っている人間は、
それらの違いを認識し、言葉を持たない人間より、より正確に世界を捉え、表現することが出来るようになります。
つまり、言葉を得ることで、世界をより細かく精緻に把握することができるようになるわけです。
また言葉は目に見えるものの認識を変えるだけではなく、目に見えないものを認識する助けにもなります。
目に見えず、触ることが出来ないけれど、この世界を形作っているものがあります。
それは「概念」です。
概念とは、例えば「平和」「悪」「市場(しじょう)」「哺乳類」「情報」などのように、
具体的な形や色や手触りを伴わず、人間の観念の中にだけ存在する、意味内容のことです。
人間社会のルールは、法という概念で出来ていますし、天体の運行を司るものは万有引力という目に見えない力であり、これもまた概念です。
つまり世界は概念によって形作られている、という言い方もできるわけです。
これら概念は、目で見て触れて確認することが出来ない以上、別の方法で認識する必要があります。
その方法が言葉です。
小学校の算数で初めて出てくる抽象概念が「割合」です。
それまでは、例えば、リンゴ7個が入った箱が3箱あるときリンゴは全部でいくつあるでしょうか?などの、
視覚や触覚を通してその存在を確認出来る数を取り扱っていたものが、
ある数に対するある数の比、という人間の脳内にのみ存在する数を扱うようになります。
視覚、触覚で捉え切れない割合という数的概念の理解に多くの子どもは躓くのですが、
それを難なく理解できる子どもも一定数います。
私の知る限りですが、そういう子は読書が好きな場合が多いです。
つまり彼らは、読書を通じて豊かな語彙を持っているから、
言葉を通じて認識するしかない割合という抽象概念を容易に理解することができる。
私はそのように考えています。
このように人は言葉を豊かにすることで、世界を形作る概念を認識することができるようになるのです。
言葉に触れることで得られるもの。
他者と意思疎通する能力、高解像度で世界を認識する視点、抽象概念を認識する能力。
まだ他にもあるのかもしれませんが、思いつく限りを綴ってみました。
写真の本は、サバイバル登山家の服部文祥さんの本です。
英語には、You are what you ate.(あなたはあなたが食べたものに他ならない)という言葉があるそうですが、
それを文字って服部さんは、You are what you read.(あなたはあなたが読んだものに他ならない)と記します。
どのような言葉に触れるかで、その人の世界との関わり方、世界を認識する視点、その認識の仕方が変わるなら、
まさに私達は、読んだもの、出会った言葉で出来ているのかもしれません。
服部さんは著書の中で、自らの体験をもとにしてサバイバルの方法を紹介されていますが、
本を読み言葉に触れ言語能力を向上させること事それ自体が、この世を生き延びる手段の一つなのかもしれません。
時間がたっぷりある夏休み。
子どもたちが読書を通じて新しい言葉と出会い、
それを血肉化し、自分の生きる力を高めていってくれますように、と願います。